教会月報 巻頭言

2025年10月​​​​​​                

ロザリオの力と真心からの祈り、................... 
そして霊魂のための全免償の恵み

                                                        ダニエル 李 昇倫 神父

  10月は、教会が特別にロザリオの月として定め、聖母マリアとともにイエスの生涯を黙想しながら祈りに励むよう勧める月です。ロザリオの祈りは、単なる繰り返しの祈りではなく、私たちの心を主に開き、人生の喜びと苦しみ、栄光と光を通して神の神秘にあずかる深い黙想です。

 11月に私たちが煉獄の霊魂のために祈り、全免償を捧げることも、この流れの中にあります。教会は地上と煉獄、天上の神秘的な一致を信じています。私たちとすでに世を去った人々が互いに祈りで結ばれているというこの信仰は、私たちに大きな慰めと使命を与えてくれます。ロザリオの祈り、ミサ、犠牲や善行によって、煉獄の霊魂がより早く神のもとに行けるよう助けることができるのです。11月の全免償は、この愛の行為が具体的に実現される時でもあります。

 しかし、私たちが捧げるすべての祈りや善行は、ただ形式的に、あるいは義務感から行われるべきではありません。イエスは、外見は立派でも内面に愛と正義がない者たちを指して、「白く塗った墓」(マタイ23・27)と呼ばれました。外見は美しく見えても、中は腐っている墓のように、私たちの祈りが口先だけで心から出ていないなら、それは神の前に真の捧げものにはなりません。

 ロザリオを祈るとき、私たちは指で珠を繰りながらも、心が遠く離れていないかを振り返る必要があります。その祈りの本質は、誠意、愛、そして信仰です。誰かのために真心から祈り、煉獄の霊魂のために全免償を捧げ、自らの小さな犠牲を通して彼らに光と平和を届けようとする心こそ、神が望まれる祈りです。

 10月のロザリオの月にあたり、私たちはまず自分の心が白く塗った墓のようになっていないかを省みる必要があります。外見だけが立派な信者ではなく、真実な心で祈り、その祈りを11月の煉獄の霊魂のための愛の捧げものとしてつなげていきましょう。そうするとき、私たちもいつの日か天において彼らの祈りと報いを受けることでしょう。