letter/202510
教会月報 巻頭言

2025年11月・12月                

                                                                                    待降節とクリスマス............

                                             ダニエル 李 昇倫 神父

  冷たい風が吹き始めるころ、教会では静かに待降節のろうそくが灯されます。

一つ、また一つと火が灯るたびに、私たちは「待つ」ということの意味を学びます。

待降節は、ただイエスの誕生を記念するための準備期間ではありません。それは、神がどれほど長く、どれほど深く私たちを待ち続けておられたかを思い起こす時なのです

イスラエルの民がメシアを待ち望んだように、私たちも心の飼い葉桶を整え、その方を迎える準備をします。

暗闇の中に灯される小さな光は、希望のしるしです。たとえ世の闇がどんなに深くても、神の愛はそれを越えて明るく輝く―その信仰のしるしです。

そしてついに、静かな夜に天使の声が響きます。

「今日、あなたがたのために救い主が生まれた」

小さな赤子の泣き声の中で、世界は新しく生まれ変わります。

神は華やかな宮殿ではなく、冷たい馬小屋を選ばれました。

それは私たちに語りかけます―「愛は力ではなく、へりくだりとして来るのだ」と。

クリスマスは私たちに問いかけます。

あなたの心には、今、主を迎える場所がありますか。

主は今も、愛を失った人々の中に、孤独の中に生まれようとしておられます。

待降節の時を無駄にしないために、私たちは小さな優しさと赦しによって主を迎えましょう。

そのとき、クリスマスの喜びは単なる祝祭ではなく、神の愛の現実となるのです。

 闇の中に光として来られた幼子イエス、その平和が今日も私たちの心に新たに生まれますように。