2020年12月
神が人となった
ペトロ 梅原 彰 神父
主イエスのご降誕祭、おめでとうございます。
ヨハネは「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とイエスの降誕の出来事を語っています。
言という表現は何を意味するのでしょう。
言は、人間の場合、人の思い、考えを他者に伝えるために心が結晶したもの、心が形となったものと言えるでしょう。
心そのものはなかなかわかりにくいものです。
同じことは神の心にも言えます。
神の心も極めてつかみにくく、理解しにくいものです。
そういう神の心が結晶し、形あるものになったのが、神の言だというのです。
神の言こそキリストなのです。
それ自体としてはとらえにくい神の心が、キリストという形に結晶したのです。
したがって、キリストという神の言を聞けば、神の心が理解できるのです。
神の言であるキリストが肉となり、わたしたちの間に宿られたとは、どういう意味なのでしょうか。
心が言に結晶したのは、心を他者に伝えるためです。
神の心を結晶させた言は、相手である人間に伝達されねばなりません。
言によって神の心が伝わるのは、自分が相手と同じ立場になった時です。
幼稚園の先生は教えるとき、子どもにわかるように、子どもに通じる言葉を使います。
神の心もそれ自体は、相手である人間にとってつかみにくい、超越的な心です。
したがって、そのままでは神と人間とは対話が成り立ちません。
神は人間を超えた自分の心を言にまで結晶させ、キリストという形にして、相手である私たち人間に伝達しようとされたのです。
その時に神の言であるキリストは、相手の立場にまでなって、人間の形をとり、人間としてこの人間の世界の中に生まれてくることが必要であったのです。
これがクリスマスの意義であります。
クリスマスは、受肉(托身)の出来事が起こった時であります。
神が人間となって私たちとともに生きてくださる、最も嬉しい日なのです。