2021年6月
津和野の静寂と殉教
マルセリーノ 春名 昌哉 神父
先日、久しぶりに津和野を訪れました。
津和野は学生の時から教区の中高生津和野巡礼のリーダーとして、またプライベートでもたびたび訪れました。
私はキリシタン史に興味を持っており、神学校の卒業論文もキリシタンに関するテーマで書きましたが、そのきっかけとなったのは津和野を訪れたことでした。
元々歴史好きなこともありましたが、その時に殉教の歴史に触れ、自分の信じている宗教の歴史を知りたいと考えるようになったからです。
調べてみると日本の宣教の歴史は苦難の連続であったことを知りました。
日本における殉教と言うと、江戸時代初期のことではるか昔のことと感じるかもしれません。
しかし、津和野の殉教は明治に入ってから、まだわずか140年前のことなのです。
江戸時代が終わり明治維新を迎えたとき、政府は江戸時代から続いていた禁教令を継続しました。
そのために浦上のキリシタン約3400人が流罪となり、西日本各地に配流されました。
津和野もそのうちの一つで、153人のキリシタンが送られました。
真冬の氷の張った池に突き落とされる、三尺牢、最低限の食事など、津和野での拷問は非常に厳しいもので、36人が殉教しました。
そのような中にあってキリシタンたちは、お互いに励まし合い、助け合いながら、いつも神が共にいてくださると信じ、信仰を守り通しました。
中には拷問に絶えられず転んだ(信仰を捨てること)人々もいましたが、彼らは耐え続ける仲間たちに役人に見つからないように食事を届けるなどして支え続けました。
最終的に解放されてキリシタンたちが浦上に帰ったのは明治6年のことでした。
非常に苦しいい状況でも、キリシタンたちは決して希望を捨てず、神を信頼し続けました。
苦しみの中にも希望を見出し、命をかけて信仰を守りました。
私たちもキリシタンたちの信仰に学ぶ必要があります。
私たちの日常生活の中にも理不尽とさえ思えることが起こります。
そのような中にあっても希望を失うことなく、まっすぐに神に向かって歩んでいくことができるように祈り求めていきましょう。