教会月報 巻頭言

2023年10月​​​​​​

神の国はこのようなもの

ダニエル 李 昇倫 神父

 神父になって初めての日曜学校で子どもたちに質問をしました。
「日曜学校のお友だち!
 神様の国はどんなところでしょう」
子どもたちは、もじもじしながら答えられませんでした。
「永遠にロザリオの祈りをするところです。
 永遠にミサを捧げる場所、永遠に聖書の言葉を聞く場所、永遠に隣人の愛を実践する場所です。
 神様の国に行きたいお友だち、手を挙げてください!」
日曜学校の子どもたちは誰も手を挙げませんでした。

 私は続いて次のように聞きました。
「では、地獄はどんなところでしょう」
子どもたちは、またもやもじもじしながら答えられませんでした。
「永遠にロザリオの祈りをしないところ。
 永遠にミサを捧げない場所、永遠に聖書の言葉を聞かない場所、永遠に隣人の愛を実践しない場所です。
 地獄の方が楽らくそうで好きだと思うお友だち、手を挙げてください!」
すると、子どもたちはみんな手を挙げました。

 この子どもたちは、一つの明確な事実を教えてくれています。
人は自分の基準によって喜びを得るところでは永遠に生きたいと思いますが、自分の基準に反したところでは生きたいとは思わないという事実です。

 神の基準と人の基準が異なる場合が多くあります。
それは神の基準と世の中の基準が違うからです。
神の基準から離れてしまうのは、私たちが神の国よりも世の中の基準に馴染みやすく、そちらの方が楽だからです。
今、私たちが神様と時間を共にすることや、祈りや隣人愛に喜びを味わえないなら、神様の国が私たちにとって喜びの場所になるのは難しいでしょう。

 10月はロザリオの月です。
私たちの信仰の模範であるマリア様が私たちに勧めてくださったのがロザリオの祈りです。
今月は、マリア様が黙々と歩んでこられた信仰の道を、ロザリオの祈りを通して、神様の基準に近づく時間として過ごしてみてはいかがでしょうか!

「成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」
(マルコ 4:32)

 神の国はからし種のように大きくなって皆を抱くことができる国です。
しかしながら、神と共にいることに喜びを見つけられなければ、私たちは自ら、神の国を拒否することになるでしょう。

 神様と一緒に喜びを見つける信仰生活を送っていますか?