2016年3月
イエスの受難と十字架の道行
ペトロ 梅原 彰 神父
灰の水曜日(2月10日)から四旬節に入りました。
四旬節受難節の間、毎週金曜日午後3時から、十字架の道行の信心を行っています。
イエスがなぜあのような残虐な十字架上の死を遂げられたのか……。
イエスは大祭司カイアファの家に連行され、深夜の尋問を受けられました。
多くの偽証人が不利な証言をしますが、反逆罪に告発されるほどの証言はありませんでした。
大祭司はイエスに言いました。
「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子メシアなのか」。
イエスは「それは、あなたが言ったことです。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。
大祭司は「神を冒涜した。(……)今、冒涜の言葉を聞いた」。
それゆえ冒涜罪にあたるので死刑にすべきだと決議したのです。
夜が明けるとイエスはローマ総督ピラトのもとに引き渡されました。
ピラトは、このナザレ人が引き渡されたのは、妬みによる冤罪であると感じました。
そこで、過越し祭には毎年恩赦を与える習慣があったので、ピラトは「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と問うと、民衆は祭司長たちに扇動されて「バラバを」釈放せよと言ったのです。
民衆の興奮は高まる一方で、イエスを赦そうものなら暴動すら起こりかねない。
そこでピラトは、自分の総督の地位を守るため、兵士たちにイエスを引き渡しました。
イエスは鞭打たれ、十字架にかけられることになったのです。
兵士たちは紫の衣を着せ、茨の冠をかぶらせ、つばを吐きかけるなどの侮辱の限りを尽くしました。
イエスは重い十字架を背負い、ゴルゴタの丘へと歩かれたのです。
まさに悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)、その間3度も倒れ、母マリアに会い、キレネのシモンの助けを受け、ヴェロニカがイエスに差し出した布にみ顔を写して返され、エルサレムの婦人たちを慰め、一連の出来事を回想し、黙想しながら十字架の道を歩まれたのです。
イエスはやっとの思いでゴルゴタの丘にたどり着き、二人の犯罪人の間に両手両足を十字架に釘付けにされ、想像を絶する苦痛のなかで磔にされたのです。
人々がイエスに罵声を浴びせ続ける中、イエスの口からは何の悪口もなく、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。
正午頃、太陽は光を失い、全地が暗闇に覆われ、3時頃「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」、詩編22を祈り、息絶えられました。
イエスの十字架の姿を見ていたローマの百人隊長は「本当にこの人は神の子だった」と言いました。
夕闇が迫る頃、アリマタヤのヨセフが来て、イエスの遺体を引き渡してもらい、亜麻布に包んで墓に納め、入り口には石を転がして置きました。
静寂な夜が過ぎ、すべては終わったかに見えました。
イエスは人類の贖いのため、ご自分の命を与えてくださいました。
十字架上のイエスの死は弟子たちを悲嘆と絶望に陥れました。
しかし死後3日目にイエスは復活し、復活の喜びを味わわせてくださるのです。