教会月報 巻頭言

2010年11月​​​​​​

11月 死者の月をむかえて

コーナン・ミシェル神父

 11月1日は天国にいる諸聖人祭、2日には親族・友人をはじめ全ての死者に救いの恵が与えられるように祈る。
いつか自分もその教会の祈りの対象となるということを忘れがちかもしれない。
その時を迎える心の準備ができているでしょうか?
私の同級生の長女(54歳・子供5人)は、ひどく患っている。
呼ばれる前に、自分の葬儀ミサのメッセージを書き遺し

ありがとう!
今、私は癌を患っていて、親しい人さえ来ることのできない岸に渡ることになりそう。
呼ばれたら、最後の扉が開くから通って行くわね。
光がさしてくると知っているけど通りにくい感じよ。
病気になる前は死を怖くないと思っていたの。
睡眠剤・皮肉などを通して自分の叫びを隠そうとしてみてけれど
私の中に“いらっしゃい!”そして同時に
イエスさまが“恐れるな!”と私を見つめてくださっておられることに気がつくの。
身体は恐怖で震えるのだけど、どういう訳だか私の魂は心静かにいれるようになったのよ。
避けられないことだから。
最後のときが近づいていることを否定する必要がもうなくなったということよ。
素晴らしい人生に恵まれていたわ。
今まで生きれると思わなかったのに、初めての孫の誕生を祝う喜びを神さまからいただけた。
振り返ると、ただ“ありがとう”とういうことしかできないわ。
お父さん・お母さん・妹・弟、ありがとう。
人生の共である主人、毎日あなたを選び続けて今日ここまでこれたの。
あなたの忍耐力と優しさをありがとう。
夫の家族のみなさん、ありがとう。
忠実に友情をもって幸せなときも試練のときも傍にいてくれた友人、ありがとう。
能力と思いやりのあるお医者と病院のスタッフ、ありがとう。
私の疑問や落胆の時に必ず助けてくださった司祭、ありがとう。
沢山のめぐみを受けたわ。一人ひとりの中に輝く神の愛の印を見つけるの。
死はあの世へ旅立つ通過の時に過ぎないと信じるの。
心から神に感謝している、心から。

 私達の立場は違うものの、同じ信仰にあふれた気持ちでそのときを迎えることができればと、11月の死者の月にあたって思う。