教会月報 巻頭言

2020年3月​​​​​​

司祭叙階55周年を迎えて

ペトロ 梅原 彰 神父

 私は今月20日、司祭叙階55周年を迎えます。
私は先月初旬、ガラシア病院に検査入院しました。
食物がスムーズに腸に至らず、その原因を調べてもらいました。
20年前、胃がんの全摘手術をし、その時、食道と小腸を縫合したところが細くなっているのではないかと、胃カメラを飲みました。
そこは問題なく、何度も腹部手術を受けているため、腸の癒着があり、5年前に腸閉塞を起こしてバイパス手術を受けていることも影響して、トラブルが起こることがあるので、疲れすぎないように働き方を変えていくこと。
ゆっくりよく噛んで食べることしか解決する道がないことがわかりました。
がんの転移でなかったことにホッとしています。

 思えば、司祭叙階50年の時は、阪大病院に入院(すい臓がんの手術)していました。
その時、私は数年以内に天に召されると思っていましたが、術後5年生かさせてもらったのです。
これはひとえに神の恵みと、多くの方々のお祈りの賜物だと感謝しています。

 私が司祭に叙階された時、ある神父さんが「司祭になることは難しいが、司祭であり続けることはもっと難しい」とおっしゃった言葉を思い出します。
今になって、その言葉の重みをひしひしと感じます。
過去何度か、司祭を辞めようかと思ったこともありました。
イエスは弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と言われました。
弟子たちも何度か罪を犯したことがありました。
私も弱い罪深い存在ですが、多くの皆さんの祈りに支えられて、今日まで司祭職を続けることができ、深く感謝しています。

 思い起こせば、司祭生活の中でいろいろな喜びと悲しみ、苦しみ等が走馬灯のように思い出されます。

 私は6年前、ポーランドとハンガリーに巡礼に行きました。
その時、思いがけない出会いを体験しました。
恩師ネメシェギ神父(イエズス会)にお会いできたのです。
長年、日本の神学校で働かれ、高齢のため引退してハンガリーに帰国しておられたのです。
連絡がとれ、共同司式でミサをする予定でした。
当日、ブタベストの聖マチャーシュ聖堂の地下聖堂に来てくださったのですが、恩師は足が悪く、共同司式をすることができません。
「今日は神父さまのごミサに与ります」と言われ、巡礼者の信徒席に着かれました。
本当は恩師の説教が聴けるのを楽しみにしていました。
恩師の前で私が説教することになり、緊張しました。
恩師は私の拙い話を聴いてくださいました。
私は恩師の謙虚さに頭が下がり、思わず涙が出ました。
恩師はその時、「教え子のミサに与ることができたのは、本当に私の喜びです」とおっしゃってくださいました。
恩師はその時、90歳を超えておられました。
先日、恩師が危篤だとの知らせを聞き、私は恩師に感謝と安らかな眠りをお祈りしました。
私は恩師の授業を受けることができたことにより、キリスト教をある程度、理解することができたのです。
私は55年の間にたくさんの人々と出会い、喜びも悲しみも共にでき、司祭であり続けられたことを心から感謝します。
残された人生を少しでも長生きし、すべてを主に委ねて、一日一日を大切に生きていこうと思います。