教会月報 巻頭言

2024年7月​​​​​​・8月

真の謙遜

ダニエル 李 昇倫 神父

 謙遜について考えてみましょう。

 キリスト教徒を含め、多くの人は謙遜について、誤って認識しています。
自分の価値を下げ、卑下することだと、また、自分には何の才能も能力もないと、自分を過大評価しないことだと、それが謙遜だと信じ込んでいます。

 しかし、このようなことは謙遜ではありません。
聖アンブロジウスは、謙遜とは、「私はゴミのような存在です」というような自己卑下的な言葉ではいと説きました。
謙遜とは、自分自身と自分自身に与えられた使命を十分に認識しているということです。
それに相応(ふさわ)しい行動をとることです。
最も完璧な謙遜の模範は、聖母マリア様です。

 聖母マリア様の祈り「マグニフィカト(マリアの賛歌)」を見ますと、マリア様がいかに謙遜でいらしたかが分かります。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名(みな)は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」
(ルカ 1:46-50)

 聖母マリア様は「今から後、どの時代の人々もわたしを幸いな者と呼ぶでしょう」とおっしゃいました。
ですが、誰も聖母マリア様を傲慢だとは非難しません。
聖母マリア様は、神様がご自分になさったことをそのまま受け入れ、感謝し、神様を賛美するのです。

 聖母マリア様のように、神様にだけ心を向け、自分を無にすることが真の謙遜です。
言い換えれば、私が私の人生の主人ではありません。
神様が私の人生の主であり、私はその方の道具であることを自覚することが真の意味での謙遜であることを心に留めておきましょう。