2007年7月・8月
信仰養成は一生の課題
6月の小教区評議会で教会学校の子どもたちの信仰教育について話し合われました。
子どもたちの信仰教育は信徒全員が何らかの形で責任を持っているはずです。
しかし教会学校は一部のリーダーや関係者にその責任を負かし、ほとんどの人は関心もなければ、責任も感じていないのが現状です。
子どもの信仰教育は生涯にわたって行うべきであることは共通認識がありました。
その時子どもの信仰教育もさることながら、大人の信仰養成は一体どうなっているのかと、疑問が投げかけられました。
私たち大人は幼児洗礼の人もいるが多くの人は受洗した後、日曜日のミサや黙想会に参加する程度で、特に信仰養成の勉強会等には出席されていないのが現状です。
その反省とも思える発言がなされ、大人の信仰養成の必要性を感じている評議員が多くおられました。
私はその発言に対して、心強く感じました。
会社や職場においても、研修会や会議に出序して、社員の資質や技能の向上のため、養成が行われています。
教会においても、第2バチカン公会議後信徒の信仰養成や生涯養成の重要性が求められています。
人は生涯学び続けなければ退化して行きます。
信徒も司祭も一生成長し続けるためには、生涯学び続けねばなりません。
聖パウロも次のように述べています。
「私たちは皆、信仰によってまた神とおん子を深く知ることによって、一つになり、成熟した大人、すなわちキリストのうちに満ちているもので満たされて、その背丈いっぱいに達するように」と励ましています。
キリスト教を学ぶ人を求道者と呼びますが、私たちは洗礼を受けた後も一生涯求道者でなければなりません。
教会ではバザー等で多くの人々が集まりますが、黙想会や信仰講演会の時こそもっと多くの人々が集まるべきです。
現在当教会では、信仰教育の一環として、ジョバンニ神父の指導で、聖書研究会が毎月第3土曜日の午後7時15分より行われています。
7月7日より毎月第1土曜日の午後7時15分より、典礼研究会が梅原神父の指導で行われます。
又カテキズム研究会も行われる予定です。
信仰教育委員会の呼びかけで色々な信仰養成の集いが始まりますが、こうした集いに一人でも多くの方々が参加して、自らの信仰養成に取り組むよう努めてください。
梅原 彰 神父