2020年4月9日
復活信仰のよろこび
ペトロ 梅原 彰 神父
今年の聖週間は本当に寂しい聖週間でした。
一年のうちで最も盛大に記念し祝われる典礼が、新型コロナウィルスの蔓延のため、盛大に祝われなかったのです。
イエスが御父のもとから人間となってこの世に来られ、自らのことばとことばの真実さを示す行いをもって、神の国の訪れを現してくださいました。
人類を救うため、受難と十字架上の死によってその愛を示し、復活の栄光に入られたのです。
ユダヤ人は日常の生活の中で挨拶する時、「シャローム」(ヘブライ語)と言います。
イエスも復活して弟子たちにお現れになった時、「シャローム」と挨拶されました。
イエスの復活を信じるのに後れを取ったトマスに対しても同じ言葉を使われました。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」
(ヨハネ 20:27)
トマスは、イエスの出現に圧倒され平伏して「私の主、わたしの神よ」と全面的な信仰を表します。
イエスこそ私の人生にとってなくてはならない方であることを表明し、全面的に帰依することを告白しました。
その時、イエスは「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ 20:29)と言われました。
その言葉は私たちにとって非常に喜ばしい言葉です。
私たちはイエスの復活を見たことはありません。
聖書にも書かれているように、イエスの復活を見た人たち(ペトロ、マグダラのマリア、12使徒、パウロ、500人の人たち)の証言によって、また御父とイエスが送ってくださる聖霊の働きによって、私たちも「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白できるのです。
復活されたイエスが今も私たちとともに生きていてくださり、私の人生の伴侶となってくださるので、私たちは力強く人生を歩めるのです。