教会月報 巻頭言

2021年9月・10月​​​​​​

コロナと信仰

ダニエル 李 昇倫 神父

 私たちは今、コロナで多くのことが急激に変わる毎日を過ごしています。

 人と人の間には距離を置くことになり、その距離の間には目に見えない壁があるようにも感じられます。
みんながマスクを着用することで、お互いに相手の表情や気持ちが分かりにくくなり、人と会うことを控えることもあります。
会社や学校のシステムが変わり、レストランなどお店の営業時間も変わっています。

 コロナ感染の拡大防止のためにはいろんなことを変えざるを得ないことは仕方ないことですが、その中でも、変わってはいけないものまで変えてしまうようにも感じます。
それは私たちの信仰ではないかと思います。
信仰というものが目に見えるものではないので、自分で判断するしかありません。

 「教会に行きたいけど、人が集まるのが怖いです」、「ネットでミサに参加しているので、心配しなくて大丈夫です」などの信者たちの声に、ミサも一つの番組のように変わってしまうかもしれないと思ってしまいます。
もしかしたら、司祭も、より多くの方々がインターネットでミサを見られるように案内し、「いいね」と「登録」を叫ばなければならない時代になっていくのではないかと思います。

 「何より大事な聖体を受けるためには教会のミサに参加するのが一番です」という言葉に、「聖体も Uber Eats で家まで届けてくれるといいですね」と冗談なのに笑えない現実。
いつかこれが現実になってしまうのではないか?と心配が先に立ちます。
信仰に対する私たちの心や形が変わるのではなく、それによって、もっと簡単で楽なことを探す私たちの「心」が変わっているからです。
コロナは私たちの体だけではなく、私たちの心までも感染させる恐ろしいウイルスであることを改めて実感します。

 これから始まる四旬節。
復活の栄光を準備する大変な時期になります。
私たちも、コロナパンデミックが終わり、新たな時代への復活を待ちながら、教会に行けない状況であっても、心のコロナ感染を防ぐための「お祈りというワクチン」で私たちみんなが自分自身を守る時期であることをお祈りしたいと思います。