教会月報 巻頭言
2017年10月
サック神父様へのインタビュー
6月11日に夙川教会の助任司祭として着任されたサック神父様にお話しを伺いました。
〈お名前は?〉
私は、洗礼者ヨハネ
グエン・シン・サックです。
私の霊名は自分で選んだのではなく、祖父がつけてくれました。
幼児洗礼を受けた一族の男の子は皆、霊名は洗礼者ヨハネです。
〈お生まれは?〉
1984年10月10日、ベトナムのハティン省ヴィン教区の田舎で生まれました。
力強い信仰を持つ地域です。
出身小教区は信者数が約5万8千人で、小教区の召命は司祭が25人、神学生が40人、シスターが130人です。
ヴィン教区の信者数は名簿上54万人で、教区の召命は司祭が288人、神学生210人、神学生志願者450人で、シスターは数えられないくらい大勢です。
〈ご家族は?〉
両親と子ども7人の9人家族で、何代も前からのカトリック信者です。
私は7人兄弟のいちばん上で、妹が2人、弟が4人います。
妹の一人は結婚し、もう一人は東京のイエスのカリタス修道女会にいます。
弟の一人は大阪教区の神学生、残りの3人は学生です。
末の弟は12歳です。
〈召し出しを感じたのは?〉
私がまだ中学2年生の頃、叔父が田舎へ帰って来て、教会で初ミサを捧げました。
その時、ワクワクした気持ちになり、奉献生活に憧れました。
一生を神様に捧げたいと思い始めました。
しかし、自分が神様に選ばれるのだろうかと心配でした。
毎年、夏休みには親戚が田舎に帰って来て、修道服を着てミサに与ります。
その姿を見て、とても素敵だと感じました。
自分も高校を卒業して神学校へ進学し、一日だけでも修道服を着てみたいと思いました。
小さな夢でしたが、その夢はいつも私の心の中にあり、将来は神父になって奉仕したいと思っていました。
〈司祭になるまでの道〉
たくさんあるのですが一つ、皆様に紹介したいです。
幼児洗礼を受けた私は、カトリックの家庭で育ったので、自然と信仰生活が体に染みついていました。
私が2005年10月にベトナムから一人で来日した時は、何もわからず、心細く、恐れでいっぱいでした。
しかも入学した学校はカトリックとは違う宗教でしたので、さらに驚きと不安の毎日でした。
その学校でも毎日祈りがありました。
私はこっそり指を折りながらロザリオの祈りをしていました。
違う宗教の中で祈り続けなければならないという苦しみの中で、いつかはカトリック教会に行けるよう、あきらめずに祈り、絶えず神に信頼し、委ねました。
祈りによって、奥深いところから神秘的な力がもたらされ、無から有へ、神が人を通して、私の思いを希望へと導いてくださったと気づきました。
これからもそのような体験を語り合い、皆さんと神様の素晴らしい業を分かち合いたいと思います。
〈司祭としてのモットー〉
司祭は神の国の建設のため、また神様と人との仲介者として常に生き、福音の証となるべく努めます。
また、神様と人間の架け橋として相応しく生き、生涯努力しなければなりません。
私は本当に小さくて弱い人間ですが、神様のみ手に委ね、すべてをお捧げ致します。
神様に「主よ、あなたの僕として働かせてください。一日だけでも司祭職を生きることができたら、いつみ国に行っても私は幸せです」と日々祈り続けます。
そして司祭として秘跡を授け、悲しい時も嬉しい時も一緒に分かち合い、理解し合います。
司祭は神様の愛をもって生きることが大切だと思いまもって生きることが大切だと思います。
人々が司祭を通して、神様の愛を感じられますように。
〈夙川教会の信徒に一言〉
神父様方と夙川教会の皆様の暖かいお心に、心から感謝申し上げます。
私の司祭叙階式で選んだ福音の言葉は『彼らのために、わたしは自分自身をささげます』(ヨハネ17章19節)でした。
だから、一生を通して、日本の教会、また大阪教区、特に夙川教会の皆様のために毎日祈り、秘跡を行うこと、またミサを捧げること、そして皆様とともに分かち合うことができたらとても幸せです。
私は神様と皆様の僕だから特に秘跡を通して使ってくださったら嬉しいです。
夙川教会の皆様一人ひとりの上に神様の恵みが与えられますように祈ります。
どうか私が良い僕になれますように、私のために皆様、祈ってください。
ありがとうございます。