2021年4月
それから、もう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
エリック・バウチスタ・デ・グスマン神父
主のご復活、おめでとうございます!
わたしたちキリスト教徒にとって、主の復活は信仰の中心的な教義です。
簡単に言うと、もしイエスが死者の中から復活できなかったならば、今までイエスの仰ったことばや人々の前で行った不思議なわざのすべてが偽りになってしまいます。
主の復活によって、イエスが確かに、神の聖者、神の子、救い主、御父に選ばれた者、油を注がれた者、メシア、キリストであることが明らかになりました。
主の復活はわたしたちの復活の前表(ぜんぴょう)にもなっています。
信仰宣言の中で、わたしたちが「からだの復活」と唱えているのは、終わりの日に、死んだわたしたちのからだが分離された魂と再び結ばれ、神の裁きを受けるために、そして、永遠のいのちに与るために復活するということです。
この「復活」は福音書に載っているイエスの奇跡による死者のよみがえりと違います。
ラザロ、ナインのやもめの息子、ヤイロの娘は確かによみがえりましたが、あくまで、地上の生活の続きをしていたと考えられます。
しかし、終わりの日にわたしたちが待ち望んでいる「復活」では、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのです(マルコ12章25節)。
天国で、わたしたちは天使たちと聖人たちとともに、喜びのうちに神を終わりなくほめたたえるのです。
顔と顔を合わせて、神様と会うことができるのです。
これを至福直観といいます。
そのとき、「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光あるからだと同じ形に変えてくださるのです」(フィリッピ3章21節)。
主の復活は終わりの日のことだけをわたしたちに思わせるのではありません。
主が復活されたのは日曜日、週の初めの日です。
万物の創り主である神は、6日間をかけて、愛と英知をもって、様々なものをお創りになり、最後に、ご自分に似せて、人間を創造され、7日目にお休みになりました。
主の日である日曜日は安息日であり、主の復活をお祝いする日でもあります。
そのために、わたしたちは教会で集まり、神様の大きな家族として、一つの共同体として、主日ミサに与ります。
わたしもこの3年間、夙川カトリック教会で、皆さんと一緒に、この貴重な体験をさせていただいたことに対して、心から感謝申し上げます。
皆様、本当にありがとうございました!
夙川がどんな教会共同体なのか、わたしも、3年間居て、見て信じました。
復活節第2主日からは新天地である梅田ブロック(大阪梅田教会・関目教会)に赴任することになっています。
本来であれば、皆様お一人おひとりにご挨拶をしなければいけないのですが、この場をお借りして、お礼とお別れの挨拶とさせていただきます。
梅田も関目も近いので、皆様とまたお目にかかる機会があるとわたし自身は確信しております。
それでは、神様のお恵みと聖母の取り次ぎがいつも皆様の上にありますように。