教会月報 巻頭言

2016年6月​​​​​​

キリストの代理者ペトロ

ペトロ 梅原 彰 神父

 私は昭和27年1月6日、ご公現の祭日に綾部教会(京都教区)で洗礼を受けました。
その時、今は亡きカール神父(レデンプトール会)から式中、「あなたの霊名はヨハネですか」と問われ、私は何故か「いいえ、ペトロです」と答えたのです。
何故私がペトロと答えたのか、よくわかりません。
神父様の聖書の話の中で、ペトロの話をよく聞き、子どもながらにペトロの積極的な素直な性格に心惹かれたのかもしれません。

 イエスがカイサリア地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は、人の子を何者だと言っているか」とお尋ねになりました。
弟子たちは「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます」と答えました。
イエスが「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と彼らに向かって質問を投げかけられます。
彼らは返事に迷って黙り込んでいました。
ところがペトロは勇気を出して「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です」と答えたのです。
イエスはその時、ペトロの信仰宣言を称え、ご自分が彼につけた〈ペトロ〉すなわち〈岩〉という名前の意味を明らかにし、ペトロというこの岩の上にわたしの教会(キリストによって呼び集められた集団)を建てると、約束されたのです。(マタイ16章参照)

 ペトロの人生は波乱万丈の人生でした。
「わたしはあの人を知らない」と言って、自分がイエスの弟子であることを3度も否定し、その過ちのために深い罪悪感にかられ、涙を流し痛悔して、イエスのもとに立ち帰ったのです。
まさにそのペトロに、イエスは最初に現れました。
その後、イエスの選んだ弟子たちに現れました。
イエスの出現は一回限りのことではなく、数十日の間、何度も繰り返し起こったのです。
使徒たちはイエスが自分たちと共に、人生の伴侶として生きておられることを確信しました。
ティベリア湖では7人の使徒たちが漁に出たにもかかわらず、一匹の魚も獲れませんでした。
その時、漁師の姿で現れたイエスが「舟の右のほうに網を打ちなさい」と言われ、網を打つと魚がいっぱいかかり、網を引き上げることができませんでした。
ヨハネが「主だ」と言い、ペトロも共感し湖に飛び込んだことがありました。
彼らが陸に上がると炭火がおこしてあり、その上に魚がのせてあり、パンもありました。
使徒たちがイエスと共に朝食をとった後、イエスはペトロに「この人たち以上にあなたはわたしを愛しているか」と3度も問われ、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えました。
イエスは「わたしの小羊と羊を牧しなさい」と言われ、ペトロを教会の最高の牧者(教皇)とされたのです。
(ヨハネ21章参照)
ペトロの後継者が教皇なのです。
私たちは素晴らしい働きをしてくださっているフランシスコ教皇に、見守られ、導かれているのです。