2012年4月
聖書はなぜ復活されたキリストがマリアへの出現を書かなかったのか
ペトロ 梅原 彰 神父
二年前ガラシア病院の司祭館の横にあった梅の木が、駐車場を整備するため、どうしても移設しなければならなくなり、当教会にいただき、山手幹線側の日当りのいいところに植えました。
昨年はまだ枯れたような状態である枝は新芽も出ない状況でしたが、今年は紅、白の梅の花がちらほら咲いて生きていることを証ししています。
ところで今年も12人の方が復活徹夜祭で洗礼の恵みを受けられ、4月15日には堅信の恩恵も受けられます。
12人の方が私たちの仲間に加わってくださることは、大きな喜びです。
私たちキリスト者にとって、キリストの復活祭は一年中で一番嬉しい時です。
キリストは闇と死にうち勝って復活されたのです。
四福音史家はそれぞれの立場で復活の記事を書き残しています。
これはキリストの復活がキリスト教の信仰の中心であり、土台だからです。
ところで四福音書にはキリストが聖母マリアにお現れになったという記事がどこにも書かれていないことに不思議に思う人がおられます。
それは当然のことと思われます。
キリストの十字架の苦しみと死を共にされたのですから、最初に復活の喜びをキリストが伝えたと思われます。
しかし福音史家はキリストの復活の事実を証明しようと、第三者の証言を述べる必要を感じたのです。
そのためトマスの不信仰や十二使徒の疑惑や頑固さを浮き彫りにしています。
そうした意味で、マリアへの出現の事実を挿入する余地がなかったのです。
自分の息子の復活について話す母の言葉があっても、その証言は信じてもらえなかったでしょう。
福音史家たちがマリアへの出現について何も語らなかったということは、それ自体それが他の人々への出現とは別個のものであると云っているようです。
トマスやエマオへの二人の弟子たち、あるいはマグダラのマリアへのように、現場にいあわせて始めて信じるようになる人たちへの出現とは一緒にされないことを暗示しています。
福音史家たちが日曜日に墓に急ぐ婦人たちのうちにマリアの名を書き留めていないのは、キリストのマリアへの出現を十分にほのめかしています。
おん子がすでに復活されたことを知っておられた以上、マリアにとって亡骸に香油を注ぐために出かけることは何の意味もなかったのです。
聖テレジアは自分の指導者にあてた報告の中で次のように書いています。
「主はよみがえられると、聖母をまず訪問されたと、私におおせになりました。あまりの苦しみに茫然自失された聖母は復活の喜びも味わえないほどであられましたから、このことは是非とも必要でありました。それから主は聖母をお慰めになることも必要でございましたので、長い間おそばに留まっておられたということでございます。」
私たちキリスト者は復活されたキリストがマリアへまずお現れになったことは当然のことと固く信じています。