2010年1月
不思議な星キリストをさがし求めよう
梅原 彰 神父
イエスはベツレヘムでお生まれになった。 占星術の学者たちが、東の国からエルザレムに来て、「ユダヤ人の王として、お生まれになった方はどこにおられますか。私たちは東方であの方の星を見たので拝みに来たのです」と尋ねたのです。 その不思議な星が先に進んで幼な子のいるところまで、導いてくれたのです。 その星は出たかなと消え、消えたかと思えば現れ、あたかも超自然的な光であったかのようです。 学者たちはイエスという王は天の星まで喜びで躍らせ、光を輝かせる世界的な王であると理解していたようです。
イエスは神がお立てになる真の救主です。 イエスは地上的民族的な王ではなく、全世界がひれ伏さねばならない神の国の王なのです。 人類みんながその誕生を喜び迎え祝うべき大王なのです。
イエスの誕生の時人々はだんな態度を取ったのでしょうか。 ヘロデ王はイエスに対して敬意を示し、学者からその星の出現年月日を確かめ、まことしやかにイエスの居所を聞き出し、殺害しようとたくらみました。 今日でもそうしたタイプの人がいます。 キリスト教の話も聞こうともしないで、頭からキリスト教を否定し、キリストとの出会いを否定するのです。 そうした人は今までの自分で得た社会的地位や名誉、富、財産がイエスを王として認めることのよって、根こそぎ否定されないかと恐れおののき、自分の座から一歩も動こうとしないのです。
こういう人は今までの自分の思想価値観をかえたくないという先入観があるのです。 「真理につく者は私の声に耳を傾ける。」とイエスはおっしゃいました。 こういう人々も真理を尊び謙虚になって、イエスとは如何なる方かを学ぶ必要があるのです。 祭司長や律法学者、エルザレムの市民は自分たちのために、待望のメシアが生まれたことを知らされた時喜んだでしょうか。 メシアの誕生地はベトレヘムだと学者に教えられながらも、ベトレヘムへ行ったでしょうか。 彼らはその努力の一かけらも示さなかったのです。 全く無関心だったのです。
ところで私たちはどうでしょうか。 東の学者たちはイエスについてわずかしか知りません。 イエスはどこに生まれたか頭を下げて教えを乞う求道者でした。 しかし彼らには救い主を求めるひたすらな心があるました。 自分たちの宝を惜しげもなく捧げました。 クリスマスの夜の星の光は万人の頭上に等しく注がれたいたことでしょう。 ただ学者たちの目だけはその星がまるで自分を救い主に連れて行くために輝いていると思えたほど、彼らの心の中には希望の光であったのです。 天の星もこの自分をイエスに引き合せようとするために存在し、お膳立てしてくれているように思えたのです。 そういう人だけがイエスを拝んだのです。
私たちも東の学者のように光をみつめ、光を求め、キリストに出会えるように努めましょう。