2015年10月
感謝日記
ヨセフ 赤波江 豊 神父
ある年配の女性の信者さんが私に「私はこれから感謝日記をつけることにしました」と言いました。
その方は高齢の上に体調もあまりすぐれず、家にいることが多いのですが、その方が言うには「平凡な毎日に見えても、一日のうち必ず何かいいこと、嬉しいことがあります。例えば、久しぶりに友達から電話があったこと、道で小さな子が話しかけてくれたことなど、それらをある日、日記に書いてみました。そうすると一つ嬉しいことを書くと必ず二つ三つ四つと出てくることに気付きました。そうやって毎日日記に嬉しかったことを書いているうちに、一見平凡な毎日に見えても神様は毎日私をお恵みで満たしてくださっていることが分かりました。だから私はこれから感謝日記をつけます」と。
幸せな信者さんですね。
確かに感謝は感謝を呼び覚まします。
一つ感謝すべきことを見つけるとそれは決して一つにとどまらず次から次へと見出すものです。
幸せは毎日雨のように降り注がれています。
今生活している場で感謝することができる人はどこへ行っても幸せを見出すことができるでしょう。
反対に、今生活している場で感謝できない人はどこへ行っても幸せを見出すことができないでしょう。
皆さんも一度感謝日記をつけてみたらいかがでしょうか。
小さな嬉しかったことの一つ一つに目を留めながら。
そうすれば「ありがとう」ということが自ずと祈りへと変化していくことに気付くでしょう。
私たちの最終的な、そして最高の祈りは「ありがとう」以外にないのですから。