教会月報 巻頭言

2021年11月​​​​​​

11月は死者の月

ペトロ 梅原 彰 神父

 11月になると山々が紅葉し、風に吹かれて落葉する姿を見ると、なんとなくもの悲しく思います。
カトリック教会は11月を死者の月とし、墓参して亡くなった人々を思い起こし、祈りを捧げる、美しい習慣があります。

 亡くなった時、神の恵みと神との親しい交わりを持っていながら、小さな罪や罪の償いができていない状態で亡くなる人は、永遠の救いこそ保証されているものの、死後すぐ天国の喜びに入ることはできないのです。
そうした人たちは、天国に入る前にある浄化の苦しみを受けます。
こうした状態で亡くなる人たちがいるのが煉獄です。
そのため、ある軽い罪は浄化されるため、煉獄に留まるのです。
この人たちは心の浄化を受けた後、天国に入れるのです。

 旧約聖書のマカバイ記に、「死者が罪から解かれるよう彼らのために贖いのいけにえを献げたのである」(2マカバイ 12:45)とあります。

 教会は死者のために祈り、感謝のいけにえを捧げてきました。
それは死者が清められて、神の至福直観に至ることができるためです。
教会は死者のために施し、免償、償いの業を勧めています。

 聖ヨハネ・クリゾストムは「死者を助け、追悼を行いましょう。ヨブの息子たちが父親のいけにえによって清められたのなら、私たちはなぜ、死者のための供え物が死者に何らかの慰めをもたらすことを疑うのでしょうか。ためらわずに死んだ人々を助け、彼らのために祈りを捧げましょう」と教えています。

 天国にまっすぐに行ける人も、地獄に落とされる人も、少ないと思います。
多くの人が煉獄を通って天国に行けるのです。
従って、煉獄にいる人々がいち早く天国に行けるよう、祈りや施しや犠牲を彼らのために捧げるのは、私たちの務めです。