2013年9月
神の憩いのうちの休みましょう!
助任司祭 カスキーリョ・マルコ
どの宗教にも安息日が設けられています。
労働から自らを解放し、祈りや礼拝を捧げて過去を振り返る日です。
スポーツなどを楽しむこともあるでしょう。
ユダヤ教では土曜日がこれにあたり、イスラム教は金曜日、キリスト教は日曜日をそれぞれ安息日に定めています。
仏教にも「布薩(ふさつ)」と呼ばれる日があります。
戒律を守って自己反省を行い、心の清浄性や喜びを得る日です。
休息を十分に取らなければ体調を崩す場合もあります。
しかし、奇妙なことに、医師は初めての患者を診察するときにも労働時間や休息時間について質問することはありません。
尋ねるのは決まって喫煙や飲酒、運動の習慣、そして食欲やダイエットについてです。
病気の原因が休息の不足によるものかもしれない、という考えがないのです。
「忙しくて時間が足りない」という台詞は、休息が不足していることを示しています。
体が休みを求めている証拠なのです。
休息は最も生産性の高い行為の一つでもあります。
何故なら、休んだ後には長時間働くことができ、仕事の完成度も向上するからです。
睡眠不足はストレスの元であり、仕事に支障をきたすだけです。
日本では働きすぎで人が亡くなっています。
他にこのような国は殆どなく、「過労死」という日本語も他の言語には訳語が見つからないほど非常に特殊な言葉です。
もちろん、日本人も休息が重要なことは理解していますし、どうやって休みを取るのかも分かっています。
それは、山や温泉で休暇を取る日本人を見ると一目瞭然です。
日本人にとっての問題は、ただ時間がないことなのです。
夙川教会の皆さんに、「ポルトガルでは夏休みは二か月で、会社員も一か月休みを取るんですよ」と言うと驚かれます。
しかし、これはヨーロッパでもアメリカでも珍しいことではありません。
多分、ユダヤ教やキリスト教の考え、つまり「神も天地創造の七日目に休息をお取りになったのだから、我々も休まなければならない」という考え方が根底にあるのでしょう。
聖書には、「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」(出エジプト20:8-10)とあります。
また、文化的・思想的背景もあります。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、「仕事から離れ、リラックスする時間を取ることは良いことである。なぜなら、仕事に戻った時により良い判断ができるからである」と言っています。
また、ローマの詩人であるオーヴィッドの格言にも「休息を取りなさい。休んだ土地は豊かな恵みを与える」とあります。
私たちの体と心には休息が必要なのです。
ユダヤ教の人々は土曜日が休むべき日ですが、これは旧約聖書の教えによるものです。
キリスト信者にとって日曜はイエス・キリストの復活を祝う休日であり、休息を取る日です。
とはいえ、日曜の仕事に自分が必要とされているのに休みを取ることや、安息日だからと何もしないことを勧めているのではありません。
ただ、休息を取る時間や、友人と遊んだり、家族と過ごしたりする時間を少し取ってみることは必要だと思うのです。
イエズスも復活の前の土曜日に墓の中で一日を過ごし、休息をお取りになったのですから!
カテキズム(教理問答書)によれば、日曜日という安息日の習慣があるからこそ、全ての人が「文化的で社会的、宗教にのっとった家族との生活を培っていくために必要な休息や時間を取ることができる」のです。
週末に仕事に行く必要がないのであれば、是非、休息をとるようにしましょう。