教会月報 巻頭言

2023年6月​​​​​​

6月はイエスのみこころの月

ダニエル 李 昇倫 神父

 日本語学校に通っていた時、外国人の友達と日本の文化について話をしていると、必ずと言ってもいいほどよく話題になることの一つが自販機文化です。
韓国や他の国にも自動販売機はありますが、設置数はもちろん種類から見ても日本がトップです。
他の国ではほとんど飲み物に限られていますが、日本はお酒、タバコ、アイスクリーム、さらに最近は唐揚げや餃子など、数え切れないほどの種類が次々と出ています。
このような自販機文化があまりない国の留学生たちにとっては、とても便利でありがたいものだと感じます。

 しかし、日本での生活が長くなればなるほど、留学生にとっても自販機文化は特別なものではなくなっていきます。
いつもそこにある、当たり前のものだと感じ、ありがたいと思う気持ちが薄まります。
逆に、探している時に見つからなかったり、目に入らなかったりするとイライラしてしまうことさえあります。
感謝すべきなのに感謝できず、むしろ不満を感じてしまうのです。

 もしかしたら、これが私たちの信仰の姿ではないでしょうか。
神様はいつも私たちのそばにいらっしゃるので、その大切さを感じられないのです。
自分が必要な時にだけ訪ねて、欲しいものだけを要求して帰る。
自分が必要な時に、必要なところにいないと、イライラしてしまう。
そして、次に自分が必要に思うまでは、いとも簡単に忘れてしまう。
私たちのそばにいらっしゃる、私たちが接する神様が、そのような存在になってしまっているのだと思います。

 私の机の前に貼ってある「新年の祈り」という紙に、毎月の祈りが書かれています。
6月は「私の心が謙虚になるように。人を大切にし、誇りと傲慢から私の心が遠ざかるようにしてください」と書かれています。
私が謙虚でないのは、傲慢だからです。
私自身が自分を誇り、すべてに感謝できないのは、すべてをくださった神様が私の中にいらっしゃらないからです。

 新しく始まる6月。
今月はもう少し謙虚な姿で、必要に迫られるときだけでなく、関心と愛をもって神様を訪ねる時間が増える一ヶ月になることを願っています。