教会月報 巻頭言

2013年7月・8月​​​​​​

聖母アリアの被昇天

主任司祭 梅原 彰

 1549年8月15日、聖母マリアの被昇天の祭日に、フランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸し、日本における宣教活動にあたって、日本を聖母マリアにお捧げしました。
日本が第二次世界大戦を開始したのが、1941年12月8日、聖母マリアの無原罪の祭日でした。
終戦が、1945年8月15日、聖母マリアの被昇天の祭日であります。
偶然とはいえ、何か日本は聖母マリアと特別に縁が深い感じがします。

 ところで、ピオ12世教皇は、1950年11月、聖母マリアの被昇天を信ずべき教義として、以下のように発表されました。
「無原罪の神の母 終生おとめなるマリアが、地上の生活を終えたのち、肉体も霊魂もともに天の栄光にあずかるようにされたことは、神によって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する」と。

 被昇天については、聖書には何も明記されていません。
しかし、初代教会から、教会は被昇天の教義を信じていました。
ピオ12世は「聖書はおん子と密接に一致し、常におん子の使命にあずかっている神の母をあらわにする。それゆえ、マリアが霊魂についてはもとより、その地上の生活を終えたのちに、肉体的に主と離れて過ごすなどということは考えられないことであると思う」と述べておられます。

 人は死ねば、魂は神のもとに帰り、永遠の生命の喜びに入りますが、肉体は墓に葬られ、土に帰ります。
世の終わりまで、主キリストの再臨の時まで、復活することはありません。
その時が来て、復活して、体も魂も一体となって、神の豊かな救いを得て、幸福に生きるのです。

 しかし、聖母マリアは、世の終わりを待つことなく、地上の生活を終えたのち、肉体も霊魂もともに、神の国で、キリストのそばで、永遠の生命の喜びにあずかっておられるのです。
それは当然のことです。
聖母マリアは、その存在の最初の瞬間から原罪をまぬがれ、神の恵みに満たされたお方でした。
だから、罪の罰である死による腐敗は及ばなかったのです。

 聖母マリアはキリストの救いの業、十字架の救いのよき協力者でした。
従って、マリアはキリストの救いの最高の実りとして、被昇天の恵みをお受けになったのです。

 聖母マリアの被昇天は、私たちに希望を与えます。
私たちの肉体も、世の終わりに復活し、霊肉ともども永遠の生命の喜びにあずかることができるのです。