教会月報 巻頭言

2015年5月​​​​​​

キリストの復活

ペトロ 梅原 彰 神父

 夙川の桜の木も満開となり、多くの人々に喜びを与えてくれました。
花が散ると新しい芽が出、新しい若葉が茂ってきます。
冬の間、枯れ木のように見えた木が新しい生命に生まれ変わったように見えます。

 今年の復活祭には6人の大人の方が洗礼・聖体を受け、6人の子どもが初聖体を受け、キリストの生命に与りました。
そして、神のいつくしみの主日には13人の方が堅信を受けられました。
心よりお祝い申し上げます。

 ところで、イエスの復活は私たちにとって大きな喜びであるとともに、信仰の土台です。
イエスはユダヤの権力者によって捕えられ、ローマ総督ピラトの前で不正な裁判を受け、辱められ、十字架にかけられ、人類の罪を贖ってくださいました。
その時、ヨハネを除いて10人の弟子は逃げ去ったのです。
イエスは何の抵抗をすることもなく、敵の思いのままに死にました。
イエスは「父よ、わたしの霊をみ手に委ねます」と言って、息を引き取られたのです。
ローマの百人隊長は十字架のイエスの言行を見て、「まことにこの人は正しい人だった」と言って、神を賛美したのです。
信仰を持っていたはずの弟子たちは、イエスの死によって絶望のどん底に陥りました。
彼等はユダヤ人を恐れ、鍵をかけ、身を小さくして隠れていたのです。

 ところが、イエスの死の3日目にびっくりするようなニュースが入ったのです。
墓に再埋葬しようと婦人たちが着いた時、イエスの遺体は見つからず、天使からイエスは復活されたと聞いたのです。
マグダラのマリアは復活のイエスに出会ったと証言しました。

 同じ日の午後、復活されたイエスは旅人の姿でエマオへ行く二人の弟子に現れ、旧約聖書を引用して、メシアは苦しみを受け十字架にかけられた後復活することになっていると諭されたのです。
エマオに着いた時、二人は「一緒にお泊まりください」とイエスを引き留め、食事をともにした時、彼等の目が開かれ、その旅人がイエスであったと悟りました。
が、そのとたん、イエスは姿を消されました。
すぐに二人の弟子はエルサレムに引き返し、イエスは復活して、今も私たちと一緒にいらっしゃることを他の弟子に伝えたのです。
また、復活された日の晩、扉の閉まった部屋に入って来られ、真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われました。
弟子たちは亡霊を見ているのだと思いました。
驚き恐れる彼等に「手と足を見なさい」「触ってみなさい」と言われ、焼き魚をとって食べられたのです。

 イエスは復活の喜びを彼等と分かち合い、40日間しばしば弟子たちに現れ、復活の喜びを味わわせてくださったのです。
そのお蔭で弟子たちは人が生まれ変わったように、臆病な弟子から勇気ある使徒になったのです。
その姿は使徒言行録に記されています。
彼等は命も惜しまず、イエスの復活を証言しています。
「わたしたちとしては自分の見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」とも「人間に従うよりも神に従うべきです」とも言っています。
投獄や迫害の中でもキリストの復活を証言しました。
キリスト教の信仰はキリストの復活の事実の上に成り立っています。