2013年3月
信仰年の四旬節を迎えて
ミシェル・コーナン神父
教皇様の呼びかけで昨年10月から始まった「信仰年」。
各教区、各小教区で様々な取り組みが行われています。
ところで自分の信仰を確かめ、深めていくとはどういうことでしょうか。
日曜日のミサに与り、教会の定められた義務を果たし、少なくとも他人に迷惑をかけずに生きている。
それだけで信仰者と言えるのでしょうか。
教皇様の勧められるのは、それ以上のことだという気がします。
私たちは「信仰年」の意味を再確認する必要があるでしょう。
夙川教会では「信仰年」の取り組みとして、ミサの前に大阪教区の「信仰年の祈り」が祈られ、毎週行われる聖体讃美式で祈りが捧げられています。
そのような祈りをすることで私たちは何を確認しているのでしょうか。
信仰年の祈りを通して、私たちが一人で生きているのではなく、神の共同体として生きているのであって、お互いに祈り合い、助け合って生きていこうという気持ちをいだくべきではないでしょうか。
そのような生き方をすることこそが、信仰を証しすることに違いありません。
私たち一人ひとりの信者の生活が、深いところでイエス様のみ心に結ばれているなら、私たちの生活は愛によってつくりあげられるはずなのです。
私たちの心がどれほどイエス様のみ心に結ばれていて、私たちの心の中の聖霊の勧めに従って、どれほど信仰を証ししようとしているか。
あるいは、どの程度まで自分の家族以外の人 ~ 特に試練の立場に置かれている人 ~ のために祈ったり、助けたりしているか。
そのような観点から自分自身の信仰生活を反省するなら、私たちがおそらくまだ発見できていない大切な事柄が、たくさん残されていることに気づくに違いありません。
身近には、東北の震災で苦しんでいる人たちが大勢おられます。
世界には、経済的にも、精神的にも、肉体的にも苦しんでいる人たちがたくさんおられます。
イエス様のみ心は、その人たちと一緒に苦しんでおられるのです。
そのことを思い起こしてみましょう。
でも、そのような厳しい現実の中であっても、どこかに必ず、喜びの種と、新しい命の愛と希望はあるのです。
そして、愛と希望があれば、必ずみ国は来るのです。
今年の四旬節、私たちも、イエス様のみ心から溢れ出る愛の種を蒔き続けましょう。
そうすれば、自分の生きる環境も、恵みによって少しずつ変わってくるでしょうし、私たちの祈りの内容も、広く大きくなることでしょう。
ご復活の喜びを祝う前の今月いっぱい、そして信仰年の間中、イエス様のみ心に繋がりながら愛することを積極的に実践してみましょう。
霊的かつ具体的な実りが生じますように、この聖なる信仰年のうちにお互いに励まし合いましょう。