2016年11月
ポイントカード
ヨセフ 赤波江 豊 神父
私たちの身近な生活にポイント制というのがあります。
例えばある特定の商店で買い物をしたり、施設を利用したりするとポイントカードにポイントをつけてくれて、それがある程度貯まるとそれで買い物ができたり、施設を無料で利用できる制度です。
私も財布の中に何枚かポイントカードを持っていますが、やはりポイントが貯まるのは嬉しいものですね。
またポイントは知らないうちに貯まっていることがあり、時々店員さんから「お客様ずいぶんポイントが貯まっていますよ」と言われて思わず嬉しくなったことが何度かあります。
神様もきっと私たちが洗礼を受けた時、私たち一人一人のために天国に「愛のポイントカード」を作ってくれたと思うのですね。
確かに私たちは知らず知らずのうちに罪を重ねてしまいます。
でも、同時に知らず知らずのうちに善いこともしているのですね。
困った人にそっと差しのべた手、悲しむ人と共に流した一滴の涙、落ち込んだ人にかけた小さな励ましの言葉など。
でもこのようなことは多くの場合当然のことをしただけで善いことをしたという意識はないし、忘れてしまっていることが多いのですね。
でも神様は私たちが忘れてしまった小さな愛の数々にこそしっかりと目を留め、忘れずに愛のポイントをつけてくださっているのですよ。
確かに私たちは多くの罪を重ね、ゆるしの秘跡でも忘れてしまった罪のゆるしを願います。
しかし、もし神様が私たちの罪ばかりに目を留めておられるのなら、それは私たちの神様ではありません。
愛である神様(一ヨハネ 4:7-8 )はご自分の似姿として私たち人間を作られました(創世記 1:27 )。
それならばその神様が私たちの善いところにまず目を留めてくださらないはずがないでしょう。
だいたい善には自意識というものがないのですね。
自分で善いと思ってしていることにはどこか自己満足があるのではないでしょうか。
イエスは十字架上で亡くなる前、ご自分を苦しめた人たちの赦しを父なる神に願って「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23:34 )と祈りました。
でも同時に私たちのためにも「父よ、彼らを見捨てないでください。彼らは自分たちがしている小さな愛の業の偉大さを知らないのです」と父なる神に永遠に祈り続けておられると思います。
今月は諸聖人の月です。
私たちは洗礼の時、天国の友人としての聖人の名前、洗礼名をいただきました。
きっとその聖人たちは神様と一緒に、私たちが忘れてしまった無数の小さな愛の数々にポイントをつける作業を手伝っているのでしょうね。
そして私たちがいつかこの世の務めが終わった時、天使から「君ずいぶんポイントが貯まっているよ」と言われて皆さんの顔が思わず微笑みに満ち溢れることを願っています。