2025年2月・3月
四旬節に向け、改めて…
ダニエル 李 昇倫 神父
多くの方々が癌により命を落とされています。
癌を早期に発見し治療するという事は、大変大きなお恵みだと言えます。
多くの場合、初期の段階では、違和感や痛みなどの自覚症状はほぼ見られないと言います。
痛みが感じられ、症状が現れる時にはすでに癌細胞が私たちの体の多くを蝕み、癌が進行している場合が多くあります。
病に冒された方々が望む事はただ一つです。
「痛くありませんように」
しかし、人間は健康であれば、望み願うことが多くなります。
お金も多ければ多いほど良い、子どもたちが立派に育って欲しい、ブランドバッグも買いたいし、車も買い替えたい。
他人より大きな家に住みたいし、夫が昇進しますように、子どもたちが合格しますように……と祈ります。
そういったことに集中していると、私たちは心の健康の有り難さや大切さを忘れてしまいがちになります。
このように、自身の望みばかりに心を奪われた人生は、生活と内面の不均衡を生み出します。
すべてを備え持っていたとしても、家族間の不和が起こり、親戚、友人、同僚などとも問題が生じます。
心ががらんどうだからです。
人間は本来、痛みや苦しみに晒された時、初めて生きることの本質と向き合う傾向を持っています。
「苦痛」は一つの信号です。
今、私たちが歩む道が間違っているという警告です。
しかし、私たちはそれを軽んじ、気にも留めません。
まだ自分の生活に、自分の体に、何の問題もないからです。
結局問題が生じてから、なんとか解決法を探すため、私たちは多くの労力を要し、多くの時間を費やさなければならなくなります。
キリスト教徒の内面、つまり霊性も同様です。
見た目だけに気を取られた人生は、すでに不均衡が進んでいます。
この不均衡を正すことができるのは、自身の内面としっかり向き合うこと以外、方法はありません。
自分が教会に通えていないことに対して申し訳ない気持ちがあるのであれば、それが合図です。
しかし、これも繰り返されると、私たちはその信号にさえ気付く機会を失ってしまいます。
そしてその時、心には既に「罪」という癌細胞が蔓延しています。
そのようなことにならないためにも、自身の内面を見つめる、信仰の内視鏡が必要です。
それを集中的に行うよう教会が促す時が、まさに四旬節です。
健康のため定期的に内視鏡検査を受けるように、自分の心も信仰の健康のために、定期的に内視鏡で見つめ直さなければなりません。
その方法を私たちはすでに知っています。
実践です。
我が心の罪という癌の塊が大きくなる前に、信仰の内視鏡、つまり、ゆるしの秘跡を通して私たちの罪を告白しゆるしを得ることで、皆が、心の健康を取り戻すことのできる四旬節になることを願います。