2023年9月
信仰の認知症
ダニエル 李 昇倫 神父
韓国にいた時、教会の団体で認知症検査を受ける機会がありました。
周りから冗談半分で勧められ、興味が湧いてきたので予約しました。
当日は、お医者さんが来て検査が始まりました。
順番が来て検査室に入りました。
椅子に座ると、お医者さんから3つの言葉が提示されました。
「栗の木」「ほうれん草」「サバ」、3回声を出して言い、後で聞くから覚えておくように言われました。
その時、隣の検査室の声が聞こえました。
「さくらんぼ」「鉄の釜」「ベイカ」、部屋ごとに指定の言葉が違うんだと思いました。
次は100から3ずつ引く検査でした。
97…94…91……1まで、順調です
私はまだ若いから認知症の検査は楽だな〜と思いました。
次にお医者さんにいくつかの質問をされました。
「おいくつですか」
「〇〇歳です」。
「今年は何年ですか?」
「2000年です」。
「今は何月ですか」
「9月です」。
「今日は何日ですか?」
「3日です」。
「お住まいの住所をおっしゃってください」
「〇〇…〇〇カトリック教会です」。
次に、「先ほど覚えた3つの言葉を言ってください」と言われました。
突然出てきた質問に、「え~!?」と頭が真っ白になりました。
気を取り直して思い出そうとしましたが、私の頭には、隣の部屋の言葉「さくらんぼ」「鉄の釜」「ベイカ」、これしか思い出せませんでした。
私たちの信仰も同じだと思います。
私たちは自分たちのカトリック教会についてよく知っていると思っています。
そして熱心だと思っています。
しかし、私たちは思っている以上に外の世界に気が向きます。
そして自分の信仰より隣の人の信仰を見て、比べたり顔色をうかがったりします。
私が覚えておかなければならない「栗の木」「ほうれん草」「サバ」ではなく、「さくらんぼ」「鉄の釜」「ベイカ」を頭の中に入れています。
それで信仰の道に迷ってしまいます。
このように、体は教会に向かいながらも、心は別の場所に向かう「信仰の認知症」という病気を患っているのではないかと考えてみましょう。
私たち一人ひとりが足を運ぶべき信仰の道しるべ「聖父(ちち」「聖子(こ)」「聖霊(せいれい)」をきちんと覚えてついて行く力を、祈り求めましょう。