教会月報 巻頭言

2009年9月​​​​​​

平日のミサに年に一度は与りましょう

梅原 彰 神父

 教会は日曜日にミサ聖祭をささげるだけでなく、平日にも朝7時からミサが捧げられています(金曜日は9時)。
すでに亡くなった親や親族の命日祭にあたり、故人の永遠の安息を求めて、この意向でミサを依頼される方がおられます。

 教皇様は聖ヨハネ・マリア・ビアンネ帰天百五十年を記念して、今年の6月16日より来年6月16日までを「司祭年」と定め司祭職について考え、司祭のために祈るよう信徒に呼びかけておられます。

 アルスのビアンネが小教区民に語った美しい話があります。

私の子ども達よ、ある善良な司祭が愛情を込めて可愛がっていた一人の友人を失うという不幸に見舞われました。 それで彼はその霊魂の安らぎのために一生懸命祈りました。 ある日神は、彼の友人が煉獄にいて非常に苦しんでいることを彼に知らせました。 その聖なる司祭は、死んだ愛する友のためにはミサの聖なる犠牲を捧げるほかないと信じていました。 聖変化のとき、彼は手にホスティアを取って言いました。
『聖なる永遠の父よ、交換させてください。 あなたは煉獄にいる私の友人の魂を手に持っておられます。 私は両手にあなたの御子の身体を持っています。 ああ、善良で慈悲深い父よ、私の友人を救ってください。 そうすれば私は御子の死と受難のすべての功徳と共に御子をあなたに捧げます。』
この願いはかなえられました。 実はホスティアを高くかかげたとき、彼には友人の魂が栄光に輝いて天国に昇っていくのが見えました。 神はこの取り引きを受け入れてくださったのです。
「子たちよ、私たちにとって大切な魂を煉獄から救いたい時は同じようにしましょう。 聖なるいけにえを通して、その死と受難のすべての功徳と共に神の愛しておられる御子を神に捧げましょう。 神は私たちに何一つ拒否することは、お出来にならないのです。」

 このように死者のためミサを捧げることは亡くなって煉獄にいる人の救いのために、大きな恵みとなり、天国への旅立ちのための大きな力となるのです。
多くの人は聖人と言われるほど完璧に生きられません。 多少の汚れを持った状態で亡くなった人は煉獄で心の清めを終えてから天国に旅立つのです。 残された家族や友人はその死者のためミサを捧げて、一日も早く天国へ行けるようにしてあげることは大きな愛の業です。
そのため故人のためにミサを捧げミサに与りましょう。