教会月報 巻頭言

2012年6月​​​​​​

マルコ神父様へのインタビュー

マルコ・アウレリオ・ダ・カスキリョ神父

 

  1. お名前は?
    マルコ・アウレリオ・ダ・カスキリョ( Marco Aurélio Casquilho )です。
    私の父は、私のファーストネームを、ストア哲学者であったローマ皇帝マルクス・アウレリウスにならって名づけました。
    コスタは母方の姓で、カスキーリョ( スペイン語の Casquillo=馬の蹄鉄の意 )は父方の姓です。
    先祖はたぶんヨーロッパのどこかの国から来た十字軍の末裔だと思います。
  2. お生まれは?
    ポルトガルのモイタ・ド・ノルティーヴィラ・ノヴァ・ダ・バルキンハで1977年9月21日に生まれたポルトガル人です。
    故郷はテージョ川に近いリバテージョという小さな村です。
    ここは豊かな農業の中心地で、馬や牛を育てるのに最良の場所です。
    この家からは、ミラ・デ・アイレ山やレジリア湿原を見ることができます。
  3. ご両親、ご兄弟は?
    両親ともポルトガルで健在です。
    父は鉄道で貨物輸送のコントロールの仕事をしています。
    母は退職者ホームでお年寄りや病気の人のために働いています。
    私は一人っ子で、神の祝福によって生まれたと言えます。
    なぜなら、私の母は卵巣が一つしかなくて、8ヶ月の早産だったのです。
    母はもっと多くの子供がほしかったのですが、医学的にきわめて危険だということで、母も父も一人の息子だけであきらめたのです。
  4. 聖職への召命はいつごろ意識されましたか?
    私が子供のころ、「癒しの聖母」教会にフェルナンド・ルースという心が寛く信仰深い神父さんがいました。
    ある日曜日のミサの説教の中で、ルース神父は「わたしは悲しみの内にこの世を去るでしょう。なぜなら、この教会では、神父や修道女への召し出しに応える者が一人もいないからです」と言われたのです。
    実際、ルース神父は私が神学校に入る前に亡くなられたのです。
    しかし、私は彼の言葉を忘れなかったのです。
    これが私が神父になろうと決心した理由の一つです。
    ルース神父は今でも天国で微笑んでいると思います。
    彼の教会から一人の少年が神父となり、もう一人の少年リカルドは、いま神学校の4年生です。
    私が2~3歳までは、教会の近くに住んでいたので、私の曾祖母と一緒にミサに行くようになりました。
    私の曾祖母は、ポルトガルの多くの未亡人のように、黒いドレスと黒いベールをつけていました。
    12歳の誕生祝の頃から、私は男の人たちの近くに座るようになりました。
    この小さな礼拝堂では男性は少なく、彼らは神父さんの近くに座っていました。
    私の両親は、いつもはミサに行けませんでしたので、お子さんがなかったソアレス・ダ・シルヴァ、ジュリエッタご夫妻が、信仰上の親として私にカトリック要理を教え、励まし、神学校の学費を出してくれたのです。