教会月報 巻頭言

2025年4月・5月​​​​​​

私の人生の復活祭はいつ?

ダニエル 李 昇倫 神父

 救い主イエス・キリストが復活されました、アレルヤ、アレルヤ。

 キリスト教徒には、年に2回の誕生日があります。
イエス様のご生誕のクリスマス、そしてイエス・キリストのご復活。

 この日を喜び讃える理由は、新しい命が再び始まるからです。
何千年にもわたって、私たちはこの日を喜びます。
この日を祝います。
この日を待ち望みます。

 しかし、本当に私たちはイエス様のご生誕とご復活を待ち望んでいるのか考えてみなければなりません。
イエス様も、私たちと同じようにこの世にお生まれになりました。
そして、死に葬られ、またご復活なさいました。
これにより、イエス様はあなたの人格とその神聖さを私たちに見せてくださいました。

 私たちは、それぞれのご誕生を通じてイエス様に同じ人間性を感じ取ります。
しかし、私たちがイエス様の神聖さを感じ取るためには、私たちは、そのご復活も共にしなければなりません。

 イエス様のおこされた、ナインのやもめの息子を生き返らせた奇跡は、復活の意味をよく示しています。
イエス様の時代に夫を亡くしたやもめは、相続者である一人息子まで失ってしまいました。
そのやもめは何の保証も保護も受けられません。
イエス様はただ、やもめの息子を理由もなく生き返らせたのではなく、このようなやもめの事情までもご存知でいらしたからこそ、そのお力を出してくださったのです。
イエス様がいらしたカファルナウムから、ナインという町までの距離は48キロです。
翌日に予定されていたナインのやもめの息子の葬儀が行われるのを防ぐため、イエス様は夜通し歩かなければなりませんでした。
これは、偶然出会った人々を助けたのではありません。
このようにイエス様が進んでおこされた奇跡は、息子を失った悲しみに加え、これ以上なんの保証も保護も受けることのできないやもめを、悲しみと絶望から喜びと希望に導いてくださった真の「復活」の姿です。

 イエス様がどこにいらっしゃるのか分からない時があります。
イエス様の存在を疑う時もあります。
しかし、いつも私たちを見守ってくださっているイエス様を、私たちは信じなければなりません。
そんな時、私たちは奇跡を享受します。
つまり、私たちがイエス様を信じる時、私たちはあなたのご復活を初めて体験できるのです。
不平、不満、不信、疑いの中ではイエス様に会うことはできません。
イエス様はむしろ私たちの元にいつでもお越しくださいます。
私たちの準備が整うのをお待ちくださっています。

 イエス様を心から信じるその瞬間こそが、まさに私たちの人生の復活祭です。
私は今、イエス様を信じていますか。
私の人生の復活祭はいつですか?