2013年6月
イエズスのみ心の信心
主任司祭 梅原 彰
イエズスの尊い脇腹の傷の御像や御絵をみられたことがあると思います。
「槍によって主のみ心は奥底までも開かれ、その御慈しみの深い奥義、わたしたちの神の御憐れみは明らかに示された」と聖ベルナデッタは述べています。
イエズスのみ心を尊敬した聖人は聖ボナヴェントゥラをはじめ多くいますが、今のようなみ心の信心が行われるようになったのは、聖マルガリタ・アラコック修道女にイエズスがしばしば現れて、人々を深く愛しながらも、常にその恩を人々から仇で返されているみ心を示され、その祝日を設けること、償いとして毎月、初金曜日に聖体を拝領し、木曜日に聖時間をつくり、ゲッセマニの受難を黙想すること等をお望みになって、この信心を続ける者には豊かな恵みを与えると約束されたときからです。
ピオ九世教皇は1856年に全教会の祝日として「イエズスのみ心」の祝日を定められました。
イエズスのみ心の信心の方法は教皇方の教書とイエズスのみ心の祈りが元になっています。
ピオ六世が言われた通り、わたしたちはみ心というシンボルのもとに神である救い主の限りない愛と溢れる慈しみを崇敬するのです。
イエズスのみ心の信心は、
神である救い主は、そのみ心を尊敬する者に、豊かな祝福を約束されました。
真心こめてそれを行い、自己の修養に努める人々には、神が祝福を下さいます。