2014年1月
年の始めに
助任司祭 カスキーリョ・マルコ
成人の日が近づいてきました。
今年20歳を迎える皆さんにお祝いと励ましの言葉を贈りたいと思います。
フランシスコ教皇は、「若者たちは窓です。若者という窓を通して世界に未来は入ってくるのです。そして、それは私たちに立ち向かってくることにもなります」とおっしゃいました。
大人になるということは簡単ではありません。
社会は、時には不公平であり、常識が通用しない場所になることもあるのです。
若い時は、人は夢と希望に溢れています。
しかし、大人になると、状況によっては人生が耐え難きものに感じられる時もあります。
そうは言うものの、問題はその状況ではありません。
人生の意味や目的を失うことが問題なのです。
ヴィクトール・フランクルは、人間にとって「生きる意味」とは「目的のある労働」、「愛」、「困難に立ち向かう勇気」の三つから見出すことができる、としています。
最近の日本では、目的のある仕事を得ることは非常に難しくなっている上、多くの人が無償の愛を探すことを諦めてしまっています。
また、社会から自らを切り離すことを選び、友情から得られる恩恵を味わえない人々も少なくありません。
日本の教育は、我慢強い人間を育てることに力を注ぎました。
その結果、困難にも挫(くじ)けない人々が育った一方で、プレッシャーやストレスに耐えきれずに仕事を辞めてしまう人々もでてきてしまいました。
後者のような人々は、生きる意味や目的を見失ってしまっているのです。
新年を迎えた今、人生の目的を見つけられない人々のために祈りを捧げ、あるメッセージを伝えたいと思います。
それは、人は皆、唯一の存在であり、特別の存在であるということです。
一人ひとりが各々独自の能力を持っており、その能力が一人ひとりを貴重で価値ある唯一の存在にするのです。
人と違うことで、寂しさを感じたり心配したりする必要はありません。
皆それぞれが、未来の新しい世界や社会を造るための重要な役割を担っているのです。
イエズス様は、異なることは貴重であるとおっしゃっています。
自分たちと違った存在でも、社会関係から弾(はじ)き出してはなりません。
イエズス様はまた、私たちが生きる意味や愛、思いやりを見つけ出すことができるよう導こうとなさっているのです。
さて、一月の初めには、ポルトガルではジャネイラスを歌うという素晴らしい伝統があります。
この伝統行事では数人のグループが歌いながら家々を訪問し、イエズス様の誕生を知らせ、新年を祝うというものです。
歌い終わると各家の主人からクルミや栗、お菓子を受け取ります。
イエズス様は寛容と協調という新しい規範を世界にもたらされました。
また、一人ひとりが貴重な存在であり、各人が生きる場所をみつけ、夢をかなえられる世界をくださいました。
暦年の最初の月である一月に、イエズス様の教えと愛のメッセージを讃(たた)え、皆に伝えましょう。
今年成人を迎える若者たちが、新しい世界をもたらしてくれますように。
彼らが私たちに立ち向かい、私たちの偏見や恐れを捨て去ってくれますように。
若者たちが、現在の社会を変え、一人ひとりが自分を特別で唯一の存在であると感じられるような社会を造り上げてくれますように。