教会月報 巻頭言

2011年11月​​​​​​

聖書を読もう

ペトロ 梅原 彰 神父

 聖書は永遠のベストセラーと呼ばれています。
昔から現代に至るまで大勢の人が聖書を熱心に読んできました。
聖書を読んで人生観が大きく変った人も少なくありません。
聖書は世界中の色々な言語に翻訳されてきました。
しかもそれが一回だけでなく、同じ言語の新しい翻訳が次々と出されているのです。

 このたびフランシスコ会から旧約・新約の聖書が原文から翻訳され、発表されました。
翻訳には50年の歳月がかかりました。
翻訳者のご苦労を思うと頭が下がります。
注釈があるので初めて聖書を読む人にも大変読みやすく解りやすいと思います。

 イエス・キリストを信じ、心の糧として聖書を読み、ミサ聖祭の中で聖書を聞き入った人々がいたからこそ聖書は今、私たちの手もとにあるのです。
聖書は私たちの宝です。
私たちは聖書をよく読むことによって、イエスの教えや考え方を理解し、キリスト教的価値観を深めていく必要があります。
聖書を何度も読み返すことによって、聖書のみ言葉が心地よくメロディーとなって響きを与えてくれます。
そして私たちが日常生活の中で、色々な問題に直面した時、自然とその言葉が思い浮かび、その問題を解決する力となります。
イエスの生き方が浸透して来た人こそ、人生の色々な出来事に対して、イエスのような生き方に近づいて行くことができるのです。

 ヒエロニムスという、古代教会の有名な聖書学者は「聖書を知らない人はキリストを知らない」と断言しています。
聖書を読むと、イエスがいつでも父なる神と共にいることを意識しながら、話したり行動したりしておられるのが分かります。
私たちも聖書を読むことによって、イエスのように、神と共にいることを意識すれば、心はなごみ大きな安心感が得られます。
又私たちはイエスが祈られたように祈りたくなってきます。

 人は神に向って心を開くための時間をもうける必要があります。
イエスは「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタイ6・6)と言われました。
イエスご自身、荒れ野に退き、40日間祈りに没頭されました。
又しばしば弟子たちから離れて山に登り祈られました。
私たちも祈りを通してイエスと共に生き、共に歩んでいきましょう。