教会月報 巻頭言

2011年2月​​​​​​

司祭職を生きて50年

コーナン・ミシェル神父

 昨年暮れ、司祭叙階の金祝を迎えた。
パリミッション会で一緒に叙階された10人のうち、現在アジアには韓国に1人日本に私と2人だけになっている。
天国の4人、フランスにいる4人は各々自分の宣教地の教会(ラオス、ビルマ、ベトナム、台湾)のためきっとたくさん祈っているに違いない。

 さて、私の司牧の歴史の中に神戸の海員センターの責任を任された時代がある。
朝5時から船に出向き、本船で英語のミサを捧げる日々。
センターを訪れる外国人船員の世話に明け暮れた。
奈良、京都への遠足の企画や案内、バスの運転。
船の訪問、深夜の海員センターの会計。
母国の家族を離れ異邦人として戸惑う船員たちに主の無限の愛を示すという役割をいただいた。
訪れるものを迎え入れ励まし、そして別れてゆく。
そんな忙しいはなかい布教に追われ、ゆっくり祈れずに私はこれでも司祭かなと思うことがたびたびあった。
司祭として唱えるべき祈りを果たすのが精一杯だった時代だ。

 今振り返るに祈りによって神からのたくさんの助けをいただいたと確信する。
司祭が「祈る心」をもつ時、神が私たちを愛してくださっていることを伝える幸いをいただく。
祈り続けたい。
祈りの内にミサを捧げ、祈りの内に病人に病者の塗油を授け、祈りの内に結婚を祝福し、祈りの内に葬儀で故人を見送りたい。
神の愛の証人として、神が私たちを限りなく愛して下さっておられることを伝えたい。
司祭職は職業ではなく、神の呼びかけによる使命。
無事に主のために奉仕できたことを心から神に感謝している。
支えてくださった皆さんにも感謝しつつ。

 最後に司祭になろうと思う若者よ、遠慮なくOK!と主に返事して下さい。
私は心から新しい若い司祭の誕生を待ち望んでいる。