2016年7月・8月
子スズメの話
ヨセフ 赤波江 豊 神父
スズメは昔から人間との結びつきが深い鳥で、世界中、人間が生活する所には必ずいる鳥である。
福音書にも登場する(マタイ10章29節、ルカ12章6節)。
スズメはよく見ると、かわいい小鳥である。
以前、司祭館の前にスズメの餌場を作っていたこともあるが、よく大挙して来ていた。
親子連れもよく見かけた。
親の前で全身をぶるぶる震わせながら、口を開けて餌をねだっているのが子スズメである。
以前、初夏の頃だったと思うが、ある緑地公園の木陰に車を止めて休憩していた時のことである。
さわやかな天気で、あたりには小鳥のにぎやかな声が響いていた。
しかし、やけに間近で鳴いているなと思っていたら、何と子スズメが開いていた車の窓から入り込んで、隣の座席でピーピー鳴いている。
どうしてここに子スズメがいるのか。
何か間違えて入り込んだのだろう。
すぐ出ていくと思っていたが、なかなか出ていかない。
捕まえてそっと窓際に置くのだが、またすぐに入ってくる。
2、3回そういうことを繰り返した。
どうやら親と離れてしまったらしい。
くちばしがまだ黄色くて、自分でまだ餌をとることができないのだろう。
様子からして何か餌をねだっているような、助けてくれと言っているような……。
もともと小鳥は好きで、子どもの頃はよく飼っていた。
でも、今は忙しくて面倒は見てやれない。
誰か他の人に面倒見てもらいな、と言うのだが、相変わらず出ていこうとせず鳴いている。
このまま外に放り出して、誰かいい人が拾ってくれたらいいが、カラスか猫の餌食になるかもしれない。
お前の気持ちはわかるけど、私は忙しくて面倒見てやれないのだよ、頼むから誰か他の人のところへ行ってくれ、と言うのだが、相手はますます激しく鳴く(泣く)ばかり。
ダメだと言ったらダメだ。
私は天の御父じゃないから、スズメの面倒なんか見てられないのだよ(マタイ6章26節参照)。
私も困り果ててしまった。
かなり長い間、黙って見ていたが、そこまで泣かれたら仕方がない。
窓を閉めて、車のアクセルを踏んだ。
行先は小鳥屋。
幸いすぐ見つかった。
鳥カゴと餌を買って、主人にわけを話すと、「子スズメはかわいいですな。よう慣れますわ」と言う。
確かにかわいいけど、何で自分がこんなことをしなければならないのかと思うと、情けないような気持ちになる。
相手はと言えば、人の気持ちも知らないで、養ってもらえることが分かって安心したのか、急に静かになった。
親からはぐれたのか、親が死んだのか知らないが、独りぼっちになったら人間に養ってもらえと、誰が教えたのだろう。
親か神様か、それともスズメの本能なのか。
スズメは成鳥になると人には決して慣れないが、小さいうちから育てると大変よく人に慣れる。
一日に数回、餌をお湯で柔らかくして口に入れてやるとよく食べる。
外出して部屋に戻ると、大変な喜びようで、やかましいくらいに鳴く。
しばらく部屋で飼っていたが、やはりどうしても忙しくて飼えないので、親のところへ持って行って飼ってもらった。
その後、スズメはくちばしの黄色いのもとれて、羽も生え変わり、すっかり大きくなった。
家の中を飛びまわったり、食事のとき、母のご飯を横取りしたり、頭をつついたりして、かわいさも絶頂に達した頃、突然死んだ。
何とも悲しかったが、これも天の御父の命令なのだろう。
時々、外でスズメを見ると、あの子スズメのことを思い出す。
神様がまたいつかあのようなかわいい子スズメに出会わせてくださらないかと願っている。