教会月報 巻頭言

2009年12月​​​​​​

人は、皆、神の救いを仰ぎ見る

コーナン・ミシェル神父

 毎年秋11月の半ばに入ると、ショウウインドウにクリスマスツリーが現れ、子供はもちろん大人にも夢を与える飾り付けが、歩行者の目をとらえる。 メリークリスマスは、あたかもプレゼントを与えあうシーズンかのよう。 不景気でも子供が犠牲者になることを避けたい親心、プレゼントをいただくお祭りと期待して育つ子供たち。 少しずつ早めに宣伝されるようになったという印象を受けている。

 さて、キリスト教では、典礼的な年の始まりである待降節に入る。 待降節のミサでは、栄光の賛歌は歌わない。 御降誕ミサ中に歌われる荘厳なグロリアを心から祝うため、第二バチカン公会議後の典礼刷新が指摘した。 その待降節、私たちは信仰者としてどう過ごすべきでしょうか?

 マリア様のように御子の誕生を待つ気持ちがとても大事です。 救い主としてイエスが来られたという出来事を思い起こすことだけでなく、周りの人たちにその神秘をどうゆう風に伝えたら良いのかと考えるのは望ましいこと。 家族で、”聖書と典礼”の最後のページの<今週の聖書朗読>を利用して、聖書を読んでみてはいかがか? 各々が何かを感じるはず。 それは、み言葉をもって教会とともに歩んでいく体験になるに違いないから。

 クリスマスこそ、神の救いの約束の歴史の中に、全ての人が含まれていることを発見したい。 喜びは自分の中にとどまることなくあふれて、人とわかちあいたいという気持ちが強くなる。 それがクリスマスのプレゼントの深い意味合いなのだ。 み言葉により、マリア様が生んでくださった救い主が健康・経済あるいは精神的に恵まれてない兄弟たちをも心にかけてくださっていることに心が及べば、私たちは、何か、もっと、救い主に協力できる暖かなクリスマスを迎えることができるのではないだろうか? 意味深いよいクリスマスを!