教会月報 巻頭言

2022年11月​​​​​​

喜びを常に求める

ポポン・エマニュエル神父

 祈ることは自分の心に入ることから始まります。
心に入ってみると、何がありますか?

 生活に関する心配事や不安を見つけるでしょう。
もっと深く入ってみると過去からの思い出も出てきます。
怒りや罪悪感を感じてくる一方、嬉しい思い出がある場合はその嬉しさを感じます。
生活に対する満足度によって内面の自分の状況が大きく変わると思います。
生活がうまく進んでいると感じた場合、一瞬それを楽しく味わえますが、あっという間に不安に襲われてしまい、「今の状況が終わってほしくない」という気持ちになるのではありませんか。
嬉しい時でも不安を抱いてしまいます。
心の状況が不安だらけになります。
したがって、心の中に入るのが怖くなってしまいます。
しかし心の中に入っていかないと人生に欠かせないものを失ってしまいます。

 ヨハネによる福音書の15章9-16の中でイエスは「わたしの愛にとどまりなさい」と言ってくださいます。
「とどまりなさい」を聞く時、私は命令でもなく、招きでもなく、イエスが願っているように聞こえます。
「わたしの愛にとどまってください」。
そしてイエスはこう言ってくださいます。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」と。

 その言葉は心の中で深く強く響きます。
不安を感じても、私たちの喜びを望んでくださる方がいます。
主イエスは私たちを自分の喜びの内にとどまるように願っています。
つまり、私自身が喜びを感じなくても、主イエスの喜びが私たちのために用意されています。
その喜びを諦(あきら)めずに求めていいのです。

 「求めなさい、そうすれば与えられる」。

 不安や忙しさで祈るために心に入りたくなくなった時、主イエスがすでに待ってくださる、いてくださることを思い起こしましょう。
どんな心境にあっても、祈ることはイエスに導かれ、その喜びに向かって歩むことです。