2022年1月
イエスのご公現のよろこび
ペトロ 梅原 彰 神父
教会は主のご降誕祭の12日目にイエスのご公現祭をお祝いします。
私はクリスマスに受洗できなかったので、一人、主のご公現祭に受洗しました。
イエスはイスラエル人の救い主だけではなく、あらゆる国民、民族、すなわち全人類の救い主としてこの世に来てくださったのです。
アダムが原罪の罪を犯して、神と人との間に溝ができ、神のみ手が差し伸べられない限り、私たちは神の家族に迎え入れられないのです。
しかし、神は人を愛し、ひとり子イエスを、この世に救い主として送ってくださったのです。
にもかかわらず、ユダヤ人の羊飼いを除いて、ユダヤ人は誰もイエスを拝みに行きませんでした。
このことは大変不思議なことです。
しかしそれにも増して不思議なのは、異邦人の東の国の占星術の学者たちが、聖書のことも詳しく知らないのに、メシアが生まれたことを朧(おぼろ)げに心の中で感じ、その招きに応えて、確かなことを知らないままに、何日間もの長い旅路に出発したのです。
やっとエルサレムに着いた学者たちは、ユダヤ人の王が生まれたのですから、皆が喜んでいると思ったのですが、誰一人としてメシアの誕生を喜んでいません。
びっくりもし、がっかりもしながら星の示してくれる処まで行きました。
やっと救い主の前に平伏した時、言葉で表すことのできないほどの素晴らしい喜びと慰めを感じながらこの赤ちゃんは神様から送られたひとり子だと認め、信じ、礼拝しました。
東の国の占星術の学者たちが不思議な星の導きによってイエスに出会ったように、私たちの人生においても、いろいろな人との出会い、本や音楽、芸術など、様々な摂理によってキリストに出会うことができるのです。
ある人は神父やシスターとの出会いによってキリストに出会い、信仰に導かれます。
ある人は音楽と出会いキリスト者となるのです。
かつて私が若い司祭であった時、一人の青年が教会を訪ね、「神父さん、グレゴリオ聖歌を聞かせてください。私はグレゴリオ聖歌に興味があります」。
当時、私の持っていたグレゴリオ聖歌のレコードを彼と一緒に聞き、それがきっかけで彼はキリスト教信仰を学び、後に受洗の恵みにあずかりました。
神は本当にいろいろな方法で、いろいろな手段を使って、ご自分の方へ導いてくださっているのです。