復活した者としてのご自分の栄光を隠して、普通の人間の姿でイエスは使徒たちに四十日間現れた後、キリストは天に昇り、御父の右の座に着きました。キリストは今やその人性に於いて、神の子の永遠の栄光のうちに治め、御父の前でわたしたちのために絶えずとりなして下さる主となりました。キリストはわたしたちに聖霊を遣わし、キリストがわたしたちに用意して下さった所へ、いつの日にか達することができるという希望をわたしたちに与えて下さいます。
133. 主たるイエスは今、どのようにして治めていますか? (668−674,680)
宇宙と歴史の主として、教会の頭として、栄光に挙げられたキリストは、教会のうちにすでに種の形で、またその始まりの形で神の国が現存している地上に神秘的にとどまられます。いつの日かキリストは栄光のうちに再臨されますが、わたしたちにはそれがいつなのかは分かりません。それゆえに、わたしたちは「主よ、来てください」(黙示録22:20)と祈りつつ、油断のない期待のうちに生きていくのです。 134. 栄光に包まれた主の来臨はどのようにして起こるでしょうか? (675−677,680)
過ぎ去るこの世界の最終の宇宙的崩壊の後に、キリストの栄光に包まれた来臨があります。その時には神の臨在(現存)と最後の審判のうちに神の最終的な勝利がもたれされます。こうして神の国は実現されます。 135. キリストは生者と死者をどのようにして裁きますか? (678−679、681−682) キリストは、すべての人に救いをもたらすために来られたこの世のあがない主として勝ち取った権力で裁きます。心の秘密も、神と隣人に対する各自の行為もあらわにされるでしょう。すべての人は、それぞれどのように生きてきたかに従って、命で満たされるか、それとも永遠に罰を受けることになります。このようにして、「キリストの満ちあふれる豊かさ」(エフェソ4:13)が実現され、その中で「神はすべてにおいてすべてとなられます」(1コリント15:28)。 |