この「陰府(ヘル)」は永遠に罰せられた人たちがいる地獄(ヘル)とは異なっていました。これは善人も悪人も、キリスト以前に死んだすべての人々の状態でした。神としてのご自分のペルソナと結ばれた霊魂の状態で、イエスは陰府の正しい人たちのところに下って行かれました。この人たちは最終的に神を見る状態に入れるようにと、あがない主を待っていました。キリストが、その死によって死と「死をつかさどる」(ヘブライ人への手紙2:14)悪魔とにうちかたれたとき、キリストはあがない主を待ち望んでいた正しい人たちを解放し、彼らのために天国の門を開かれました
。 126. キリストの復活は、私たちの信仰の中でどのような位置を占めますか? (631,638)
イエスの復活は、キリストへの私たちの信仰の頂点となる真理であり、イエスの十字架とともに過越しの神秘の本質的要素を代表します。 127. イエスの復活を証しするしるしは何ですか? (639−644,656−657)
空の墓という本質的なしるしとともに、イエスの復活は、最初にキリストに出会い、キリストのことを使徒たちに伝えた女性たちによって証言されています。イエスはその後「ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れました。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れ」(1コリント15:5-6)その他の人々にも現れました。復活は使徒たちの目には不可能に思われたので、彼らが復活の物語を創案することはあり得なかったでしょう。事実、イエスご自身は使徒たちが不信心であると、おとがめになりました。 128. なぜ復活は同時に超越的な出来事なのでしょうか? (647,656−657)
復活は立証可能な歴史的事実であり、しかも、しるしと証言によって証明されていると同時に、キリストの人性が神の栄光に入ることを表す限りにおいて、信仰の神秘として歴史を超越し、凌駕するものです。それゆえに、復活されたキリストは、世にではなく弟子たちに、ご自分を現され、彼らを人々に対する証人とされました。 129. イエスの復活された体はどのような状態でしたか? (645−646)
キリストの復活はこの世のいのちへの復帰ではありませんでした。イエスの復活された体は十字架に架けられた体であり、受難の印を刻んでいます。しかし、この体は同時に、栄光に挙げられた体の特長を備えて、神のいのちに与かっています。それゆえに、復活されたキリストは、キリストが望むままの形や場所で、しかもさまざまな状況のもとで使徒たちに全く自由に現れました。
130. 復活は、どのようにして至聖なる三位一体の働きになるのですか? (648−650)
キリストの復活は、神の超越的な働きです。三つのペルソナがその独自性に従って共に働かれます。すなわち父はその力を顕現し、子は自らが進んで捧げた命を「再び受け」(ヨハネ10:17)、霊魂と体とを再び一つのものとして結びつけ、聖霊はそれをよみがえらせ、神の栄光を授けます。 131. 救いに関する復活の意味は何ですか? (651−655,658) 復活は受肉の完成です。復活はキリストの神性と、キリストが行い、教えられたすべてのことを確証します。復活は神がわたしたちにされたすべての約束を実現します。さらに、罪と死の征服者である復活されたキリストは、わたしたちの義認と復活の原理そのものです。その原理が、今、わたしたちに、御ひとり子の命に実際に与る神の養子となる恩寵を確保します。世の終わりにキリストはわたしたちの体を復活させてくださいます。 |