お互いの命と人生が神に向かったものであることを聖家族ほど自覚して生きた家族はいないと思います。
家庭の危機が語られる中、聖家族から根本的な光を学びましょう。
2008年12月25日
『主の降誕』クリスマスのミサ説教
(カトリック夙川教会・ジョバンニ神父様)
今日クリスマスの日にあたり、わたし達は隣人を愛すれば愛するほど、神様を愛することができることを発見し、ますます愛することができますように祈りたいと思います。
「あなたは身ごもって男の子を産む」(ルカ 1・31より)
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ 1・38より)
「わたしは主によって喜び楽しむ」(イザヤ 61・10)
「主の来られるとき、あなたがたの霊も魂も体も守られるように」(1テサロニケ 5・23)
「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」(ヨハネ 1・26)
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『目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰ってくるのか、あなたがたには分からないからである。』
(マルコ13・35)
待降節とは神の到来を待ち望む季節であり、
その到来に向かい生きる態度が「目を覚ましている」ことである。
「人の子はその栄光の座に着く。そして、すべての国の民をより分ける。」
・・・・・
『はっきり言っておく。わたしの兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである』
(マタイ25・31-32、40より)
「天の国はまた次のようにたとえられる。・・・
・・・だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、
持っていない人は持っているものまで取り上げられる。」
(マタイ25・14-30)
「私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである」(ヨハネ6・40より)
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」
これが最も重要な第1の掟である。
皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。
自分のすべてが神の愛の力によるものと自覚し、神に感謝し、
神との交わりを大切にして生きていくことが・・・・・
天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は
家来たちを送り、招いていた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
ある家の主人は、ぶどう園を作り、これを農夫に貸して旅に出た。 さて、収穫時に収穫を
受け取るためにしもべた...
家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。・・・
だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、
それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
ある人に息子が二人いた。
彼は、兄に「今日、ぶどう園に行って働きなさい」といった。
兄は、「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。
弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は「承知しました」と」答えたが出かけなかった。
2008年9月21日
第25主日ミサの説教
天の国は、次のようにたとえられる。
1デナリオンは、天国を譬えたものです。
ある家の主人が、ぶどう畑で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。・・・
今日の福音は、すべての人が天の国へ招かれていることを語って
いるのです。いつ洗礼の恵みを受けたかは問題ではないのです。
十字架の神秘を信じる私たちが、永遠にその勝利にあずかることができますように。
神様は、つらいときも、苦しいときもあなたといっしょに歩いてくださっているのです。
2008年8月31日
第22主日ミサのお説教
わたしについてきたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
シモン・ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
「婦人よあなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
そのとき、娘の病気はいやされた
わたしたちが救いのみ心を信じ、勇気をもってあなたの
招きを人々に伝えていくことができますように
2008年8月15日
聖母の被昇天のミサのお説教
聖母マリアと日本
フランシスコ・ザビエルは、聖母の被昇天の日に日本にたどりついた
信じる民が、いつも天の国を求め、聖母とともに
永遠の喜びに入ることができますように。
2008年8月10日
第19主日
子どもとともにささげるミサ
ペトロは水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、風が強いので怖くなり、沈みかけたので「主よ助けてください」と叫んだ。
2008年8月3日
第18主日
子どもとともにささげるミサ
イエスは、5つのパンと2匹の魚を取り、賛美の祈りを唱え、増やされた。
そして、5千人ほどの人を満たされた。
主の愛の豊かさを多くの人々に伝えていくことができますように。
2008年7月27日
第17主日のミサのお説教
ほんとうの宝物は、
洗礼の恵みによって宝物は、わたしたちの心の中に・・・
畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、
持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
2008年7月20日
第16主日
子どもと ともにささげるミサ
ある人が、畑によい種を蒔いた。芽が出ると毒麦も現れた。
イエスは、よくたとえを用いて群衆に語られた。
神よ、あなたは世界に良い種を蒔き、その成長を慈しみと忍耐をもって
見守っておられます。ここに集うわたしたちが互いに愛し合い、
神の心にかなう者として成長することができますように。
種を蒔く人が種蒔きに出て行った。種は芽を出し、実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。
すべてを超える神よ。わたしは心から感謝し、
あなたの偉大なわざを告げ知らせる。。
熱心に祈っているのは・・・。
ほんとうに祈るとは・・・。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに
来なさい。
教会が、信仰の礎となった使徒の教えを受け継ぎ、その真理を
世界にあかしすることができますように
「お前はペトロ、この岩の上にわたしの教会を建てる。」
体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、魂も体も地獄でほろぼすことのできる方を恐れなさい。
わたしたちがあなたの愛に信頼し、勇気をもってキリストを
あかししていくことができますように。
聖霊に導かれるわたしたちが、あなたの愛とキリストの恵みを多くの
人々とともに分かち合っていくことができますように。
父である神よ、あなたは、愛するひとり子を世に遣わし、
すべての人の救いとしてくださいました。