例会報告(36回)
開催日:2013年8月-9月
報告者:水口 隆司
報告対象:288−294

聖体(エウカリスチア)の秘跡(2)

 

No 288  祭壇は何を意味していますか。

ギリシア・ラテンの教父たちが祭壇(altare)と食卓(mensa)の両語を区別なく用いている事は、初代教会においては、祭壇はすなわち主の食卓(mensa Domini)であったことを表している。教会では今日でも祭壇を聖卓(holy table)聖餐卓(communion table)と呼ぶことが多い。
さらに、四世紀頃に確立したカトリックの教義によれば、祭壇はキリストが現在し十字架の犠牲が再び繰り返される処とされ、この点から、祭壇は教会の営みの中心におかれる。
そして上記の二つの性格は現在まで受け継がれている。

 

No289  教会は信者にいつミサにあずかるように義務づけていますか。
No290  いつ聖体拝領をしなければなりませんか。

典礼歴の中でもっとも重要な日は、主の日(主日)、すなわち日曜日です。主日は週の始めの日、主が復活された曜日として、キリスト者は初代教会の時代から大切にしてきました。そして、すべての主日の中でもっとも大切な日は、主日の起源である「主の復活の日」を年に一度大いに祝う復活祭です。復活祭は春分の日を過ぎた最初の満月のあとにくる最初の日曜日に祝われることが、325年のニケア公会議で定められました。

すべてのカトリック信者には主日を聖とし、ミサに参加する義務があります。また、主日以外に主日のようにミサにあずかることが義務となっている大切な祭日があります。日本では種々の事情が考慮されて、主の降誕の祭日(12月25日)と神の母聖母マリアの祭日(1月1日)が「守るべき祝日」となっています。

トリエント公会議によって定められたローマ・カテキスムス(Catechismus Romanus)が1566年に公刊され、2年後には日本にも招来されたから、遅くとも1570年以降は、それに基づいて教理教育はもちろん、諸典礼も執行されたと考えられる。1591~92年には邦字とローマ字の2種の『どちりな・きりしたん』が刊行された。

 

291 聖体を拝領するために何が求められますか。

大罪の自覚のないことが必要です、とコンペンディウムでは語られます。では、大罪とはどのような状態でしょうか。『キリスト教用語辞典』で「罪」の項を調べると、以下のように述べられています。
「罪」 Peccatum(ラ) Sin(英)
単に罪という時は自罪を指し、これは大罪と小罪とに分けられます。
大罪は @重大な事柄か、または自分の良心の声に照らし重大と信じることがらにつき、 A完全に意識し、 B全く承諾して故意に、神の聖旨に背く事。
小罪とは、以上三条件の備わらないものであり、軽い事柄か、または重大な事柄についても、完全に意識せず、または完全に承諾せずして、神の聖旨に背くこと。
(自罪――知りつつ自由意志を持って、思い、言葉、行い、怠りによって神の意思に背く事を罪と言い、アダムの犯した原罪に対してこれを自罪という。)

ゆるしの秘跡
洗礼によって罪のゆるしを受けた後でも、人は決して再び罪に陥ることがないとはいえません。なぜなら洗礼は原罪のゆるしを与えても、原罪の結果生じた罪の傾きという人間の弱さまでも取り去るものではないからです。ゆるしの秘跡は、洗礼以降、犯されたつみのゆるしを与える秘跡です。(カトリック教会の教え P,215)

ゆるしの秘跡の構造
一つは人間の回心の行為であり、これは痛悔、告白、償いから成り立っています。もう一つは、教会を仲介とする神の行為で、これは罪人を迎えて告白を聴き、罪のゆるしを与えることです。(教え P,217)

 

No292 聖体拝領の実りはなにですか。

この場合、「聖体そのもの」と、「聖体拝領」(コムニオ)を区別することが必要です。
厳密には「聖体」とは、ミサで聖別されたパンとブドウ酒のことです。コムニオの時に食され、聖櫃に安置されているパンとブドウ酒の形態をしたキリストのからだです。
一方「聖体拝領」は、その聖体が食されて神の力が働き、そこに復活のキリストが現存し、人がキリストと出会う事が出来るという恵みの現実を表しています。(教え P.209)
コムニオによってわたしたちは教会の建設に参加します。つまり聖体にあずかることによってキリストのからだに変えられ、キリストの力強い救いの働きに取り込まれていくのです。教会が感謝の祭儀を祝うということは教会をつくるということでもあります。感謝の祭儀(ミサ)が教会をつくるなら、その典礼の在り方が教会に影響してきます。ミサの祝い方がそのまま教会の現実に反映するのです。(教え P.212)

 

No293 いつカトリック以外のキリスト者に聖体を授けることができますか。

カトリック教会と完全には一致していない東方の諸教会では、エウカリスチアが非常な愛を持って挙行されています。「これらの教会はたとえ分かれてはいても、真の秘跡、とくに使徒継承の力により祭司職とエウカリスチアを持っていて、それらによって今なお緊密に私たちとむすばれています」。(カトリック教会のカテキズム No,1399)
宗教改革によって生まれた、カトリック教会から分離した諸教団は、「とりわけ叙階の秘跡の欠如のために、聖体の神秘の本来の完全な本体を保ちませんでした」。この理由で、カトリック教会としてはこれらの教団と聖体拝領をともにすることはできません。(カテキズム No,1400)

 

No 294 なぜ聖体は「来るべき栄光の保証」なのですか。

新しい天と地への希望
キリストが再臨し、この世界がまったく新たにされるとき、神の子羊であるキリストの婚宴へわたしたちは招かれます。コムニオはこの終末の感謝と喜びの先取りであると考えられます。聖体拝領するということは、やがて実現する神の子羊の宴会に連なることができるという希望をもって日々の歩みを続けていく、ということのほかなりません。(教え P,196)

信仰生活全体の源泉であり頂点である聖体の秘跡
感謝の祭儀に参加し、キリストのからだをいただく者はキリストのからだの建設にもあずかり、キリストの愛のおきてを実践する者とされます。聖体の秘跡からいただく恵み、光、力によって信者は、日々の使徒職と生活を通して、神を礼拝し、この世を神に奉献します。(教え P,213)