例会報告(35回)
開催日:2013年6月-7月
報告者:水口 隆司
報告対象:271-287

聖体(エウカリスチア)の秘跡

1.[はじめに]
ちょうど、去年が第2ヴァティカン公会議開催から、50年になるという事でその精神をもう一度見直そうという機運が高まっている。今、私たちは『カトリック教会のカテキズム コンペンディウム』に基づいてキリスト教の様々な事象について学んでいるのであるが、その『コンペンディウム』の基礎となるのが、『カトリック教会のカテキズム』であり、その基になっているのが「第2ヴァティカン公会議」の公文書である。今日は、その資料に基づいて典礼の刷新という側面からアプローチしてみたい。

その前に第2ヴァティカン公会議と、その前回の第1ヴァティカン公会議で決議された主要な部分を再確認しておきたい。

第1ヴァティカン公会議決議事項
  教皇、ローマ司教の首位権の確定
  教皇の不謬性の教義の定義
  聖母マリア 無原罪の御宿りの定義(1854年)

第2ヴァティカン公会議決議事項
  聖体――典礼運動に関する憲章
  教会――信徒の活性化に関する憲章
  神の啓示に関する憲章
  現代世界における教会に関する憲章

  そして主要な課題として「非ヨーロッパ化の始まり」、
「20世紀以降のエキュメニカル運動」が検討された。


2.[聖餐に関する様々な理解]

Eucharist(ユーカリスト)  <ラ、eucharistia 感謝の徳 謝意>
  ユーカリストという言葉は、聖餐(プロテスタント)、感謝の祭儀(カトリック教会)、聖体祭儀(東方教会)など様々に訳される言葉である。唯、名称はなんであれ、すべてのキリスト教を通じてこの祭儀の意味する内容は一つである。すなわち、それは「最後の晩餐におけるイエスの行為に基づいた聖なる食事」である。
  「キリスト教世界全体を通じて存在するユーカリストの行為における広範な類似性こそ、この形態の礼拝の中にイエスの面影が残されていることを証するものである。・・・すなわち、ユーカリストは救い主ご自身との直接的な結びつきという権威を持っているのである。」
と、J.ホワイトは自著『キリスト教の礼拝』の中で述べている。

  聖餐は一定の「言葉」と「物素(パンとブドウ酒)」及び「所作」を伴う形で行われる。
聖餐は多様な意味を含んでいる。(リマ文書)
@父なる神への感謝(ユーカリスティア)としての聖餐
Aキリストの記念、あるいは想起(アナムネーシス)としての聖餐
B聖霊を求める祈りとしての聖餐
C信徒の交わりとしての聖餐
D神の国での食事の先取りとしての聖餐

〈宗教改革期における聖餐〉
  西方教会では、聖餐は礼拝の中心的な営みとしてその位置を確立した。その一方で、ミサにおける会衆の陪餐や参与は古代から中世にかけて徐々に低下した。聖餐に預かる前に、悔悛の秘跡を受けることが求められるようになると、常に存在していた死へ恐れや不信仰であることの恐怖から預かる者がさらに減少した。12世紀以降、信徒達は「併存説」に基づいて「一種陪餐(パンだけ)」が一般化し、ブドウ酒の陪餐から遠ざかった。
  プロテスタントは聖餐における式文の改定、二種陪餐の回復、自国語の使用といった形式上の改革とともに聖餐の「実体変化説」やその「犠牲」としての理解といった理論上の面においてもカトリックとは異なる主張を行った。
  ルターやカルヴァンは信徒が頻繁に陪餐することを願ったが、実現には至らなかった。
しかし彼らの努力によって、聖餐は受動的に遵守する儀式的行為からすべてのキリスト教徒が自国語で聖書を聴き、正しく聖餐に預かることによって参与するものへと変わった。カルヴァンが目指したのは、主の晩餐の年に四回の執行という形式であったが、うまくいかなかったにせよジュネーブではその執行に取り組んだ。

ルター
  彼の聖餐論は実存説(real presence theory)と呼ばれる。それによれば、「これは・・・私の体である」(・・・hoc est corpus meum)(Tコリント11:24)という言葉を字義通り解釈して、パンとぶどう酒の中に(in)、それの下に(sub)、それとともに(cum)キリストの体と血が真実に実在するとした。しかし、これはカトリックの実体変化説とは区別される。ルターの場合は、パンとぶどう酒とはその実体を保持したままで、それとともにキリストの体と血が実在するとされる。従ってこれを共在説(consubstantiation)とも呼ぶ。
  ルターは聖餐を罪の赦しの告知であり、信じて受ける賜物であるとした。
  彼の聖餐論は<ミサの定式>(1523年)や<ドイッチェ・ミサ>(1526年)として定式化された。

ツヴィングリ
  彼の聖餐論は象徴説(symbolism)と呼ばれる。彼は「・・・である」(est)を「・・・を象徴する」(significant)の意に解釈するべきだとし、パンとぶどう酒には何らの意味でもキリストの体と血は実在せず、ただそれを象徴する記号にすぎないとした。両者はゴルゴタで行われたキリストの犠牲を想起・記念させる「しるし」であるとの側面を強調した。これはツヴィングリが人文主義的合理主義を身につけていたところから生じた傾向ともいえよう。
彼は「肉は何の益ももたらしません」(ヨハネ 6:63)を論拠にルター説を否定した。
  彼の聖餐理解はチューリッヒの街で強力に実施された。

カルヴァン
  ルターとツヴィングリの聖餐論の対立を調停しようとして現れたのが、カルヴァンの聖餐論で、「聖霊による現在説」とも言われる。それによれば、キリストの血肉は昇天して神の右の座にのみ実在するが、信徒は聖餐に預かるときは聖餐によって高められ神の右にまで至り、そこにおいてキリストの血肉に預かるとされる。パンとぶどう酒という地上の要素の中にキリストの血肉を実在させない点ではツヴィングリと共通し、聖霊によって高められてキリストの血肉に預かるとする点でルターの実在説を生かそうとしている。
彼の聖餐論は<教会の祈りの形式>(1542,45年)として定式化された。
  他に見られない特徴として、彼は「祝福に預かるのはふさわしい者だけで、ふさわしくない者はただのパンとぶどう酒を口にするだけである」とする。

トリエント公会議(1545年12月〜1563年12月)
  第19回公会議。教皇パウルス三世(1534〜49)の時、オーストリアのトリエントで開催され、ユリウス三世(1550〜55)治下も継続され、ピウス四世(1559〜65)に至って閉会された。1545年の開会時には、わずか29人の枢機卿と司教しか参集しなかった。極めて長期にわたり何度も中断され、多くの障害によって危機にさらされた公会議であったが、当初の人々が重視していた大目的すなわちカトリックとプロテスタントの一致、及び教皇至上主義者と公会議至上主義者の一致の回復という目的は残念ながら達成されなかった。
  プロテスタントからの様々な異論に答えるために開催された「トリエント公会議」はユーカリストの問題を、便宜上三つに分けて取りあつかい1551年の第13回総会において、ユーカリストにおけるキリストの現存に関する教令(A)を、1562年の第21回総会において聖体拝領の方法に関する教令(B)を、同年の第22回総会においてミサの犠牲奉献に関する教令(C)を採択しカトリック教会の伝統的な教理を再確認した。トリエント公会議は1950年代までその影響力を保っており、第一ヴァチカン公会議の主な議題は、トリエント公会議で決議されなかった教皇職の役割を扱うことであったということができる。
  しかしながら、トリエント公会議が、プロテスタント側に参加を求めて三度にわたって招聘状を送っていたことは興味深い。特に三通目は1562年に「あらゆる王国、国家、属州、市に住む振興にかかわる問題で、われわれと袂を分かっているすべての人々」に向けられたものであった。

(A) 「この聖なる教会会議は改めて次のことを宣言する。すなわち、パンとワインの聖別によってパンの全実体が我らの主キリストの体の実体に変化し、ワインの全実体が彼の血の実体に変化する。この変化が聖なるカトリック教会によって適切に化体と呼ばれているものである」(実体変化説の根拠は、Tコリント 11:24〜25の hoc est corpus meum これはわたしの体である、とのことばである。)
(B) 「分別なき幼児は洗礼によってキリストと一体とされ、この天主の子たる聖寵はこの年齢においては失いえないから・・・」と、イノケンティウス一世やアウグスティヌスの説を追認した。(ピウス十世の教会令(1910年)及び教会法854条、859条により、児童が分別の年に達すれば(満7歳に達した者は之に当たるとされる)なるべく早く聖体を拝領せしめなければならない、とされた)
(C) 「ミサ聖祭については、ミサはキリストの十字架の犠牲の記念であり、再現であること、同じ捧げものが同じ奉献者キリストによってささげられるのであるから、十字架の犠牲と本質を同じくし、ただ奉献の様式の実が異なる(無血の奉献)ことを明らかにしている」


3.[カトリックによる聖餐理解]
  イエスがパンを取って「これはわたしの体である(est)」と、杯を取って「これはわたしの血である」と言われたとあるが、ここで「である」で言われているその主語と述語の同一性は、どのように理解すればよいのだろうか。この同一性について神学的に様々な説明が試みられてきたが、西欧では中世以降「実体変化」(transsubstantistio)という用語で説明されてきた。しかし聖書にはこの用語はない。それはアリストテレス哲学を援用しての説明である。それによると、事物は実体(substantia)と偶性(accidens)から成っており、例えば犬という実体も大きさ、色、形などそれぞれに異なっているが、この大きさ、色、形などを偶性という。実体は実体だけでは概念としてあるだけだが、実際には実体は偶性を伴って存在している。この考えに従って、イエスが取って聖別なさったパンとぶどう酒も、その聖別の前と後とで色、形、味などの偶性は同じだが、実体としてはパンからイエスの体に変化すると説明される。これを実体変化説という。
  この説明は、この秘跡におけるパンとぶどう酒がイエスの体と血となる独特な同一性を再確認しようとするものである。
  なお、ローマカトリック教会は、実体変化という用語とその概念を持って司教、司祭によって聖別されたパンとぶどう酒における主イエスの現存を理解、説明してきた。しかしこれが全キリスト教徒に共通したこの秘跡の理解ではない。16世紀以来、カトリックとプロテスタントは主の晩餐を祝ってきたが、プロテスタントは実体変化という説明を受け入れずにきた。それゆえ、エキュメニズム運動が始まって相互に理解し合うよう努力されてきたが、聖別されたパンとぶどう酒における主イエスの現存に関してはまだ共通理解に至っていない。


<参考文献>
H・イエディン 『公会議史』 梅津 尚志 出崎 澄男訳 南窓社 1986年
『キリスト教大事典』 教文館 1988年


4.[エウカリスティア制定の言葉]
《マルコ福音書 14:22〜26》
22一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」26一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

《マタイ福音書 26:26〜30》
26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」30一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

《ルカ福音書 22:15〜20》
15イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。16言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」17そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。18言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」19それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」20食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。・・・」

《コリントの使徒への手紙T 11:23〜25》
23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

(注)
@共観福音書 成立の概略
マタイ福音書とルカ福音書は、おもにイエスの業についてはマルコ福音書を、イエスの言葉については別の「語録資料(Q資料)」(マタイとルカに共通のイエスの言葉からその存在が推定される資料。ただし、文章としては現存しない)を資料とし、これらにそれぞれ「特殊資料」を加えて福音書を現わしたとされる。
Aマルコ福音書の特徴
ガリラヤとエルサレムの特徴的地位(ガリラヤ=イエスの終末論的啓示の場所(1:9)、エルサレム=イエスの受難の場所)。律法を超えるイエスの権威(1:22)。奇跡をおこなう神の子(3:1)。神の子の受難。弟子の歩むべき道(8:34)。及び沈黙命令。
成立は、エルサレム神殿の陥落以降、70年代と考えられる。成立はシリア、小アジア、パレスチナなど特定することはできない。
Bマタイ福音書の特徴
イエスを旧約聖書預言の成就者として位置付ける(5:17)。「言葉」の重視(5章〜7章)。イエスの言葉と業を旧約聖書の引用により裏付ける(1:22~,2:5~)。
70年のエルサレム陥落が反映されており、1世紀初頭の他文書に引用されていることから、80年代(後半)と推定される。ユダヤ教世界と異邦人世界との接点であるような地、シリアなどが想定される。ギリシャ語で「教会」の意の言葉を使用しているのはマタイだけである。
Cルカ福音書の特徴
冒頭の献呈の辞からも明らかなように、イエスの生涯を過去の歴史として叙述しようとしている。イエスの時の「福音書」、教会の時の「言行録」。イエスの歴史を「神の定めた計画により」進行し、「〜しなければならない」ものとして叙述し、これを神の救いの歴史(救済史)の中心として捉える処に顕著にみられる。記録を伝えることを主眼とする。
キリスト教の迫害が激しくなる90年代頃までには成立。地域はパウロの活動範囲の内と思われるが、パレスチナではないもよう。広くヘレニズム地域の人々を読者として想定。
Dパウロによる「コリントの信徒への手紙」の特徴
思想的特徴としては、パウロの論敵の存在が想定されている。
死人の体の甦りとその将来性が強調されている(15章)。霊の人として完全を誇るのではなく、キリストの苦難と十字架において表された、神の力に捉えられての「愛の共同体」を形成するようにとの勧告(12,13章)。
コリントの町は当時20万の自由人と、40万の奴隷が居た。巨大なアポロの神殿があり、ポセイドンやイシスなど様々な神が祭られており、異教徒、異邦人も多く性的にも乱れた町であった。
成立はコリントからの3人の使者を受け入れた後なので、55年の春頃と推定される。


5.[名誉教皇ベネディクと16世(ヨゼフ・ラツィンガー)著「ナザレのイエスU」からの抜粋]

第5章 最後の晩餐
P,126 最後の晩餐とエウカリスティア(聖体祭儀)の制定に関する記述は、第2章で扱った終末に関するイエスの説教以上に込み入っており、互いに矛盾する仮説が乱立していて、出来事の実際の姿を知ることはほとんど絶望的であるように思われます。

@イエスの最後の晩餐の日付けの問題
A最後の晩餐に関するテキストを検討する必要性
B最後の晩餐の伝承の神学的内容についての解釈
C聖書の伝承を超えた教会の聖餐式の成立の問題

1 最後の晩餐の日付
P,130 最後の晩餐の日付が問題とされるのは、共観福音書とヨハネ福音書との間で、この事について矛盾した記述がある事にその原因があります。
P,138 すべての共観福音書において、この食事には、イエスの死の預言と彼の復活についての預言がその本質的な部分をなしています。

2 エウカリスティアの制定
P,140 イエスがパンとぶどう酒の形で自らを弟子たちに与えたときの言葉と所作、すなわち、エウカリスティアの制定といわれているものが、最後の晩餐についての伝承の中心を形作っています。マタイ、マルコ、ルカの三つの共観福音書のほかにパウロのコリントの信徒への手紙(Tコリント 11:23~26)に、エウカリスティアの制定についての報告を読むことができます。
P,151 イエス自らがそれを言葉にし、それを始めたからこそ、あの裏切りの夜のイエスに倣って「パンを裂く」ことが、全教会を通し、それぞれの異なった伝承を通して、始めから行われ得たのです。

3 エウカリスティア制定の言葉の神学
P151 まず、エウカリスティアの制定についての四つの記述に、特徴的な差異を持った二種類の伝承の形式があったことを思い出しておきましょう。ここで個々の詳細について立ち入る必要はありませんが、重要な差異について簡単に指摘しておかなくてはなりません。
P152 重要なのは、一方ではマルコとマタイ、他方ではパウロとルカの間にある二つの明らかな差異です。マルコとマタイにおいては、「血」が主体となっています。「これはわたしに血である」。たほう、パウロとルカにおいては、「わたしの血に於ける新しい契約」となっています。・・・飲むものの直接のないようとして、「血」ではなく、「新しい契約」が挙げられています。
P,154 イエスはパンをとり、祝福と感謝の祈りを唱え、それからパンを分けたということです。パウロとルカにおいてはエウカリスティア(感謝)が、マルコとマタイにおいてはエウロギア(賛美)が、始めにあります。
P,154 それぞれに異なった言葉は、この祈りに含まれている二つの方向づけを示しています。それは神に対する感謝と賛美です。
P,155 神は、生きるに必要なものを、大地の実りによってわたしたちすべての者に分け与えてくださいます。・・・裂くことは、分けることです。共同体は、まさに分けることによって成立するのです。
P,165 イザヤ書において、「多くの人」は本質的に全イスラエルを意味していたとしても、イエスにおけるこの言葉の新しい用いられ方に対する教会の信仰からの応答は、イエスがすべての人のために死んだことをますます明らかに示しているのです。
P166 教会はエウカリスティアからそのいのちを受け、その一致を受け、その派遣を受けるのです。教会はその源泉を最後の晩餐に持ち、まさにそれ故に、キリストがからだと血の捧げものの形において先取りした、死と復活にその源泉を持っているのです。

4 最後の晩餐から日曜日の朝のエウカリスティアの祭儀へ
P,167 繰り返すことが命じられたのは、イエスがあの晩に新たに行ったこと、すなわち、パンを裂くこと、祝福と感謝の祈り、そしてそれと共にパンとぶどう酒の聖変化の言葉、これ以外ではないのです。
P,170 エウカリスティアの基本にあるのは、パンとぶどう酒に対する感謝の祈りです。ミサの典礼は、最後の晩餐の後の感謝の祈りにその原点があるのであり、食事そのものではありません。・・・教会がミサにおいて祝うのは、最後の晩餐ではありません。祝われるべきは、主が最後の晩餐において制定し、教会にそれを行うようにと与えたもの、すなわち、主の犠牲の死の記念なのです。
P,172 エウカリスティアの制定は、すでに述べたように、復活を前提としており、それ故にまた、生きた共同体をも前提としています。神の霊に導かれ、主の賜物にその形を与えるのは、この生きた共同体であり、それは信仰者の生活において行われるのです。


<参考図書>
『ナザレのイエス U』 春秋社 2013年