例会報告(34回)
開催日:2012年12月-13年2月
報告者:ルカ 宮 下 弘 道


[堅信の秘跡]

265:神の救いの計画の中で堅信はどのような位置を占めますか。
266:何故、塗油あるいは堅信と呼ばれますか。
267:堅信の本質的な儀式は何ですか。
268:堅信の効果は何ですか。
269:だれがこの秘跡を受けることができますか。
270:だれが堅信の奉仕者ですか。


◎はじめに

265:旧約聖書時代の預言者モーゼ、サムエル、アモス、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル等は、メシアが救いの使命を実現するために、主の霊がその上にとどまることを告げました。処女マリアに聖霊が降り、いと高き方の力がマリアを包む。生れて来た子は聖なる者、神の子と呼ばれる(ルカ1:35)。新約の幕開けとなった。

▼洗礼者ヨハネはイエスに洗礼を授けた。主イエスが水の中から上るとすぐ、天が裂けて、霊が鳩のように御自分に降って来るのをご覧になった。すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と云う声が天から聞こえた(マルコ1:10)。

▼あなたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる(使徒1:8)。

▼50旬祭の日(キリスト復活50日目・ペンテコステ)が来て使徒達が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。聖霊が一同の上にとどまり、聖霊に満たされた。ペトロが11人の使徒と主に立って声を張り上げ話し始めた。預言者ヨエルを通して云われていた事です。「神は言われる。終わりの時にわたしの霊を全ての人に注ぐ。主の名を呼び求める者は皆救われる」(使徒2:1〜21)。

▼使徒たちは、キリスト教をよく悟り、力強く述べ伝え、多くの人々をキリスト教へ導いた。メシア時代のしるしである。

▼使徒達は、聖霊を与えられ、人の救いの為に按手をもって信徒達に霊のたまものを与えました。信徒は一・聖・公・使徒的教会に集い、より一層主キリストと教会に強く結ばれます。

▼だれも水と霊とによって生れなければ神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは、霊である(ヨハネ3:5〜6)。
秘跡を受けるには、水と霊が必要である。

▼神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛されました。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は、裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである(ヨハネ3:16―18)。

▼神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が霊を限りなくお与えになるからである。御父は弟子を愛して、その事にすべてを委ねられた。御子を信じる人は永遠の命を得るが、御子に従わない者は、命をあずかる事がないばかりか、神の怒りがその上にとどまる(ヨハネ3:34−36)。


266:塗油は、キリストご自身の名を冠している。油を注がれたとの意味で、神は聖霊により、この方を油を注がれたものにされました(使徒言行録10−38)。

▼聖霊の賜物が与えられたと一層よく表現するため、早い時代より按手に香油塗布が加えられました。サムエルは、油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ「主はあなたに油を注ぎ、ご自身の嗣業の民の指導者にされたのです(サムエル記上10:1)」。同じく、サムエルは油の入った角を取りだし、ダビデに油を注いだ。主の霊が激しくダビデに降るようになった(サムエル記上16:13)。
▼新約の塗油で有名な記載は、“善いサマリア人”“罪深い女を赦す”(ルカ7:38)。ベタニアで、らい病の人シモンの家で香油を注がれる(マタイ26:6)。マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメが安息日に油を塗るため墓に侍った(マルコ16:1)。

▼オリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦して下さいます(ヤコブ4:13〜)。

▼イエスは汚れた霊に対する権能を12人に授け、旅に出した。彼等は、悔い改めの宣教をし、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした(マルコ6:13)。


267:堅信の儀礼は司教が「父の賜物である聖霊のしるしを受けなさい」といいながら、受洗者の額に塗油をし按手します。洗礼と堅信は一対の秘跡と云われています。

▼司教に聖霊の注ぎを懇願します。
全能の神、主イエスの父よ、あなたは水と聖霊によってこの人々の新しいいのちを与え、罪から解放して下さいました。今この人々の上に助け主である聖霊を送り、知恵を理解と判断と勇気、神の知る恵み、神を愛し、敬う心をお与え下さい(堅信式25)。

▼神は聖霊と力によってイエスを「油注がれた者」となされた(使徒10:38)。

▼いつもあながたの内には、御子から注がれた油があるから、誰からも受ける必要はない。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。

▼私たちと、あなた方と、キリストに堅く結びつけ、私たちに油を注いで下さったのは神です。神はまた、私たちに証印を押して、保証して私たちの心に霊を与えて下さいました(コリント1:21)。

▼救いの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神に献げられる良い香です(2コリ2:15)。

▼あなたがたも、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、私たちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、私たちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです(エフェソ1:12〜)。

▼あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」。イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である(ヨハネ6:27〜29)。


268: 受洗者は堅信により霊的な証印を押され、強く神と結ばれ、神の子となります。教会への絆が更に堅固となります。

▼肉に従って歩むものは、肉に属することを考える。霊に従って歩むものは、霊に属することを考える。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和である。神の霊があなた方の内に宿っている限り、あなた方は、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属さない。もしイエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿しているならば、あなた方の死ぬはずの身体をも生かして下さるでしょう。神の霊によって導かれている者は、みな、神の子なのです。あなた方は、神の子とする霊を受けたのです。私たちは「アッバ、父よ」と呼ぶのです。子供であれば相続人で、神の相続人であり、しかもキリストと共同の相続です(ローマ8・6〜、15〜)。

▼信者は洗礼によって教会に合体し、霊をしるされて、キリスト教の祭礼にあずかれるように委任を受け、神の子に生まれかわります。堅信の秘跡により、完全に教会に結び付き、聖霊の特別な力が強められ、キリストの真の証人となります。そして、ことばと行いをもって、信仰を広め、擁護するよう義務付けられる。キリスト教生活全体の集いであり、頂点の聖体の泉であり、頂点の聖体の秘跡に参加、神的いけにえを神に奉げ、自分自身も奉げる(教会憲章)。


269:堅信は洗礼と聖体とが一つにつながります。より強く神との結びつきを求め、洗礼後に受ける義務があります。堅信を「キリスト者としての成熟の秘跡」とも呼ばれています。準備にあたり、キリスト者としての使徒的責務を目指します。同時に、小教区共同体は受洗者ともに祈りを捧げます。

▼受洗者は成聖の恩恵状態でなくてはなりません。聖霊をいただくためには、ゆるしの秘跡を勧められます。

▼“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事がらを受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、私の言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、私をお遣わしになった父のものである。(ヨハネ14:15〜24)


270:叙階の秘跡の充満を受けた司教は、「最高の司祭職の恩恵の管理者」である。聖体祭儀において司教はそれをささげる配慮により、教会は絶えず生き育つ。キリストのこの教会は、信者の正当な集団の中に存実に存在する。その牧者たちに一致している集団そのものも、新約の中で教会と呼ばれ、この集団は、聖霊のうちに強い確信を持って、自分の場所に神から召された新しい民である。この教会の中で、キリストの福音宣教により、信者が集まり、「主の食物と血によって兄弟たちの集団全体が一つのからだとして堅く結ばれる」。主の晩餐の秘義の祭儀が行われる。(教会憲章26)

▼堅信は洗礼は恵の完成のため、必ず一生に一度受けなければならない。これにより、神の子として自分を一層に堅固なものとし、主が作られた教会とのきずなを更に固くし、キリスト教徒として生き生きとキリスト教的生活を送ることができる。


【まとめ】

1.聖霊は、新約時代まずマリア様、主イエス、聖霊降臨の日の使徒たちの順に降りた。聖霊は一・聖・使徒継承で按手で賜物を受洗者に与え、教会と共に生きている。

2.塗油は、キリストの冠を付け、永遠の生きる喜びを与える。

3.堅信の儀式は、司祭が洗礼直後に新信者に、又は司教が受洗者に油を塗り、霊的証印をする。

4.堅信の塗油を受けたものは、神の子として、キリストに充満する聖霊の働きが一層に深くあずかり、生活全体に、より香を放つようになる。

5.堅信は、洗礼を受けたものが一度だけあずかる。堅信を受けるには、成聖の恩恵の状態が必要である。また、堅信を受けるには物事をわきまえる年齢に達していることが条件である。

6.堅信の奉仕者は、教会の使徒的次元である司教又は司祭である。塗油に用いられる香油は、司教が聖別する。司教は使徒の後継者で、秘跡がキリスト教と教会の使徒的起源を蘇らせる。


◎おわりに

聖書をめくる毎に宝玉を得るかのように新しい発見に驚きを覚えた。聖霊の働きによる主の教会と信徒の結びつきを歴史的過程から、はっきりと認識した。神の恩恵により神から守られている自分を再確認した。今後ともカテキズムを勉強し、カトリックのコーアに迫りたい。お世話頂いた河野定男世話人に心より感謝申し上げます。