例会報告(第25回) 開催日:2012年3月25日 3月度は「典礼はいつ祝われるのか」というテーマのもとに「主日」(日曜日)が典礼を祝う中心となる日であること(設問241)、その「主日」が核となって一年を通した典礼暦年と呼ばれる教会の暦(こよみ)があること(設問242)を学んだ。
テキストでは241は「典礼の時の中心は何ですか」と少々いかめしい問いかけとなっているが、四季(一年)を通して典礼上の中心となっているのは何かを問うているのである。
設問242では、教会は一年の典礼を通じて、キリストの神秘全体(受肉から栄光の再臨まで)を祝う仕組みになっていることを教えている。これが典礼暦であるが、固有の意味をもっている「季節」と、それ以外の「年間」の二つの部分がある。「季節」は復活を祝う復活節とその準備の四旬節、主の降誕を祝う降誕節とその準備の待降節である。具体的には、教会の一年は11月の終わりか、12月の初めから始まるキリストの降誕を待ち望む待降節(旧約時代を象徴している)から始まる。12月25日にキリストの降誕(クリスマス)を祝ったあと、聖家族、公現を祝い、そのあとの主の洗礼の祭日を祝って降誕節が終わり、「年間」の主日となり、しばらくして灰の水曜日があり、この日から四旬節(復活祭の準備期間)が始まる。受難の主日(枝の主日)から聖週間となり、聖週間の終わりに祝日の中の祝日である復活祭(旧約の過越祭にあたる)を祝う。復活祭から復活節に入り6週間後に主の昇天祭があり、そのあと復活祭の50日目にあたる日曜日に聖霊降臨祭を祝って(旧約の五十日祭にあたる)復活節が終わり、再び「年間」に戻る。年間主日が半年くらい続き、11月の終わりに王であるキリストの主日(年間最後の主日)を祝って一年の典礼歴が閉じられる。年間主日の締めくくりにあたる「王であるキリスト」の祭日を祝うようになったのは、比較的新しく、1925年ピオ11世によって定められた。 ところで、現代人のわれわれにとって、祝日中の祝日である復活祭の日付が毎年替わることが少し不思議である(復活祭が移動するから四旬節の始まりの灰の水曜日も、復活節の終わりにあたる聖霊降臨祭も移動する)。復活祭が移動祝日となったのは、最初の公会議であるニケア公会議(325年)でキリスト教の過越祭を春分後の満月(ニサンの月の14日)の後の日曜日に祝うと決定したことによる。この点に関して第2バチカン公会議の「典礼憲章」は、その付録に「使徒座との交わりから離れている兄弟たちの賛同があれば、聖なる公会議は復活の祝日を、グレゴリオ暦の中の一定の日曜日に定めることに反対しない」と明言している。 以上 |