例会報告(第21回)

開催日:2011年11月20日
報告対象:設問224〜237
報告者:五百旗頭 邦夫

   この日はp137「教会の諸秘跡における過越しの神秘」に進み、時間の大半を設問224「秘跡とは何ですか」に費やした。コンペンディウムではわずか3行だが、カテキズムの関連項目は20に及んでおり、いつも通り幹事K氏が念入りに資料を調査、準備された結果である。

   秘跡の語源はギリシャ語の musterion であって軍隊における忠誠の誓い・荘厳な誓い・秘密の儀式を意味したという。これがラテン語に訳される際に sacramentum (秘跡)とmysterium (神秘)と云う2つの語になった。秘跡と神秘は同一の語源であることを覚えておくと、教義理解の助けになるかもしれない。神の恵みの感覚的しるしである秘跡はキリストによって定められ、教会にゆだねられた。昔の公教要理で暗記させられた世代は七つの秘跡(洗礼、堅信、エウカリスチア、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚) を平面的・平列的にとらえがちだが、聖トマスが説くようにエウカリスチア(聖体)を頂点として立体的にとらえるべきであろう。

   リヨン公会議は秘跡が七つであることを認め、トリエント公会議は聖書の教え、使徒伝承、教父たちの一致した見解によりこれらがすべてキリストによって制定されたと宣言した。教会にゆだねられた諸秘跡は「教会によって」分配され、それが教会を作ると云う意味から「教会のために」のものでもある。教会の奉仕者を通じて私たちに分け与えられる諸秘跡は、救い主の言行が移しかえられたものといわれる(聖レオ1世)。与え主はキリストご自身であるから、道具として働く司式者個人の正しさ・聖性は問題ではなく、儀式を正しく執り行うことによって(ex opere operato)効力を生じる。与えられた秘跡の恵みがどう実を結ぶかは、当然のことながら受ける者の心のあり方による。

   洗礼、堅信、叙階の三つの秘跡は恵みとともに消えることのない「しるし」(霊印sacramental character/spiritual seal)を与えるので、生涯に一度だけ授けられる。
 

   個別の秘跡の詳細および準秘跡(祝福、祝別、祓魔式)は第二部(250-356)で扱われる。

以上