例会報告(第16回) 開催日:2011年6月26日 今回の対象設問207から211は、使徒信条の「永遠のいのちを信じます。」のサブタイトルで始まり、 資料によれば、教会は煉獄の教えを、特にフィレンツェ公会議とトリエント公会議で表明しました、と記されています。即ち、煉獄の教えは後世に人間が聖書の内容に基づき構成したものとのことですが、よくできた教義と考えます。死後の道程は戻ってきてレポートしてくれる人もいないので深淵の世界になりますが、現世の者にとってもこの道筋を想うことから、現実の生活の基盤的指針によい影響を与えるものと思います。また、この世から煉獄の霊魂の清めを助けることができる、というのは聖徒同士の絆を思い起こさせ、深淵の死後と現世とが容易に連携できる教えだと思います。 勉強会では、地獄行き、煉獄行き、天国直行の各組仕分けの審判基準はどういうものか、また地獄組は絶対に再審の道はないのか、煉獄行きの者は清めの後必ず天国に行けるのか、未信者やキリスト教に縁遠い人はどう扱われるのか、といった他の設問のときでも同じ様に行き着く問題を考察することができました。 私審判や最後の審判で自分はどうなるのだろうかと思えば、これら審判基準や大罪と小罪との違いは如何に、親戚縁者、祖先、知人友人はどうなのだろう、と色々と気になります。ですが私としては、いい加減な奴だと叱られるかも知れませんが、審判基準などについてことさら厳密に追及しようという気になれません。自身を省みれば、罪は少なからず犯していると認識しているので天国直行は無理だろうが、地獄直行もないのでは。。。と淡い思いを抱いているというのが正直なところで、冒頭の死後のプロセスについても、そういうことなのだろうと、よく言えば素直に受けとめ、逆の意味では確かな強い信仰まで至らず、というのが自分の実態だと認識しています。 今回の設問テーマに関連して設問313に始まる「病者の塗油の秘跡」についても話題になりました。旧約時代では病気が罪とある面で係わりあるものと認識されていたところから「病者の・・・」という言葉を冠しているようですが、昭和35年発行の「カトリック要理」では「秘跡と祈り」の大項目のもとの「終油」の項に 第二次大戦末期、太平洋上で日本海軍潜水艦の雷撃で沈没した米海軍重巡洋艦インディアナポリス(広島長崎に投下された原爆の主要部品を爆撃機の発進基地まで運んだ後に被雷し、漂流乗員の救助が迅速に成されなかったことから後に問題になった)の記録を読んでいて上記の疑問が喚起される場面がありました。この艦は約1200人乗組みでカトリックの司祭とプロテスタントの司式するのに相応の人も乗艦しており、就役中洋上でも日曜日には艦内でミサ聖祭が行われ、終わると続いてプロテスタントの集会も行われるという記述があり、このことはカトリックとプロテスタントの米国社会への定着度が窺われるところです。問題の場面は、沈没後、カトリックの司祭が居たある漂流者グループでの記録として、そのグループの上級者(士官)が司祭に、「グループの者を見て回って火傷や重傷で瀕死の者のために告解を聞いたり、臨終の儀式をとりおこなってほしい。」と指示した、との記述がありました。これは50年以上の後に著者が生存者より聴取して著わされたものですが、この「告解を聞いたり、臨終の儀式」というのは上記の終油の秘跡のことだろうと思われ、指示する方も受ける司祭の方も周囲も、また後年記録として描写する方も、こうした状況では至極当然にとり行われることだとの認識がベースにあり記事になっているものと思います。 「病者の塗油の秘跡」では、範囲が決められ丁寧に説明されているとは思いますが、旧い「カトリック要理」の「終油」の秘跡で説明されている、「生命が危うくなった信者を助け強める秘跡」、という方が、対象を病者に限らず拡くカバーしているのではないでしょうか。新しい「病者の塗油の秘跡」では病者以外の人が除外されているようで淋しくなります。「終油」が「病者の塗油」に変わったのと同時に対象を絞ってしまったのではないかという疑念が払拭できませんが如何でしょうか。 以 上 |